Re: 正氣歌 文天祥
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/20 20:47 投稿番号: [137 / 735]
正気の歌
南宋滅亡にさいして、最後まで節を守って元軍に抵抗した文天祥は、江西の
出身で、二十一歳のとき進士の試験に応募し、その答案が、試験官の一代の学者
王応麟をして「忠肝は鉄石の如し」といって驚かせ、主席で合格した。
元の軍が江を下って杭州に近づくと、
賈似道が度宗をして天下に勤皇の師をつのる勅を下させた。文天祥は形勢は
すでに定っているのを知っていたが、あえてこれに応じ義軍をあげた。
度宗の元への投降の直前、全権を委任された杭州城下の元軍の元帥伯顔に会して、
元軍を引上げさそうと説いて、元軍に捕えられた。
中途から脱走して、二帝を奉じ、南走して最後まで戦ったが、
再び元軍に捕えられて北京に送られた。
世祖もその毅然たる態度に感じて三年も獄中にとどめておいたが、南方で、
文天祥を救国の英雄と仰ぎ、兵をあげるものが出るので、ついに死刑に処した。
かれが獄中で作った「天地に正気あり、雑然として流形を賦す、下は河獄となり、
上は日星となる、人においては浩然の気となり、沛乎として蒼冥にみつ」
という文句に始まる「正気の歌」をつくった。
この「正気」があふれて諸葛孔明を始め歴代の忠節の士を生んだとするこの雄篇は、
宋の士大夫の責任観と宋学の形而上学とが渾然として融合してできた中国の
ナショナリズム思想を代表する名詩で、後世に大きな影響をあたえた。
幕末水戸の勤皇の志士藤田東湖の正気の歌はこれを模したものである。
★貝塚茂樹『中国の歴史』中, 岩波新書
4044
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★滅亡寸前の南宋は、今の日本と似ているような気がします。
★文天祥「正気の歌」を挙げているのは、
大江敬香「白虎隊『双影遊記』」に、
>或は文天祥正気の歌を吟じ、<
とありましたので。
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これは メッセージ 136 (ajisai110701 さん)への返信です.
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