Re: 白虎隊『双影遊記』より 大江敬香
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/18 22:41 投稿番号: [126 / 735]
白虎隊亦死傷多く、餘す所は纔に廿人、退きて一丘を保し、謀りて曰はく、
今や百計既に尽く。一たび君公の安否を問ひ、以て最後の方法を採らんと。
乃ち間道より滝沢村の坂下に至り、更に西軍の射撃を避けて、
戸の口堰洞門に達し、深洞の水を乱して、辨天の祠の前に出で、
飯盛山に登り、遥かに瞰下すれば、西軍は城下に四面を填め、
炎焔天に漲り、砲声地に震ふ。纔に城櫓を煙雲断続の間に隠見するのみ。
於是乎、白虎二番隊教導役篠田儀三郎、第一に従容義に就くべきの
議を唱え、以て衆に謀る。
隊士の一人、井深茂太郎、之を駁して曰はく、吾が家を出るの時、
慈母懇ろに吾を誡め、仮令ひ敵兵城下に攻寄来るも、鶴城は堅固にして、
決して落城するの虞なし。汝、戦、利あらずして退く時は、
滝沢村より南に出で、城の南門より入るべしと謂ひ給へり。
因て今より南に出で、背面より西軍を追撃し、以て入城の計を決せんと。
然れども望中無数の西軍、城に向て進行し、衆寡固より敵すべからず。
且つ時機已に後れ、到底其の目的を達する能はざるものと、衆意一致
したれば、此の駁説行はれずして、殉死以て本分を尽すに一決せり。
然るに永瀬雄次は、腰部に銃丸を受け、歩行自由ならず。
衆相扶けて飯盛山に来りたる者なれば、切に同人の介錯を求め、
野村駒四郎、之が介錯を為したり。
於是乎、或は楠公七生の言を唱え、或は張巡戦死の章を誦し、
或は文天祥正気の歌を吟じ、或は項羽垓下の曲を詠じ、
或は慈母の与へし和歌を拈り出して吟し、
以て君公と父母とに告別するや、咽喉を貫く者あり、割腹する者あり、
<耒禺>刺する者あり、
碧血空しく秋草を染むるの悲劇を演ず。
抑衆意一致死を決せし所以のものは、鶴城は既に落城し、君公を初め、
父母共に国難に殉ぜしと信じ、且つ平素学校及び家庭に於て、
君辱めらるれば臣死すの教育主義に薫陶せられたるの結果に外ならず、
屍を馬革に裹まずして骨を風雨に淋す。
吁、何ぞ夫れ惨なるや、会津人士の典型は此れに在りて存するなり。
(飯沼貞吉は自刃したるも、藩士印出新造の妻に看護せられて蘇生し、
後政府に仕えて逓信技師となり、仙台に老せりと云ふ。)
★教導役・・・今の軍曹の如きもの。
★張巡(709〜757)・・・唐の玄宗の忠臣。安禄山の乱のときに<目隹>陽城を
死守したが、落城して捕虜となるも、賊を罵りながら死んだ。
★屍を馬革に裹(つつ)む・・・馬の革で屍を包む。
兵士が戦場で討ち死にすること。勇士が戦死を本懐とすること。
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今や百計既に尽く。一たび君公の安否を問ひ、以て最後の方法を採らんと。
乃ち間道より滝沢村の坂下に至り、更に西軍の射撃を避けて、
戸の口堰洞門に達し、深洞の水を乱して、辨天の祠の前に出で、
飯盛山に登り、遥かに瞰下すれば、西軍は城下に四面を填め、
炎焔天に漲り、砲声地に震ふ。纔に城櫓を煙雲断続の間に隠見するのみ。
於是乎、白虎二番隊教導役篠田儀三郎、第一に従容義に就くべきの
議を唱え、以て衆に謀る。
隊士の一人、井深茂太郎、之を駁して曰はく、吾が家を出るの時、
慈母懇ろに吾を誡め、仮令ひ敵兵城下に攻寄来るも、鶴城は堅固にして、
決して落城するの虞なし。汝、戦、利あらずして退く時は、
滝沢村より南に出で、城の南門より入るべしと謂ひ給へり。
因て今より南に出で、背面より西軍を追撃し、以て入城の計を決せんと。
然れども望中無数の西軍、城に向て進行し、衆寡固より敵すべからず。
且つ時機已に後れ、到底其の目的を達する能はざるものと、衆意一致
したれば、此の駁説行はれずして、殉死以て本分を尽すに一決せり。
然るに永瀬雄次は、腰部に銃丸を受け、歩行自由ならず。
衆相扶けて飯盛山に来りたる者なれば、切に同人の介錯を求め、
野村駒四郎、之が介錯を為したり。
於是乎、或は楠公七生の言を唱え、或は張巡戦死の章を誦し、
或は文天祥正気の歌を吟じ、或は項羽垓下の曲を詠じ、
或は慈母の与へし和歌を拈り出して吟し、
以て君公と父母とに告別するや、咽喉を貫く者あり、割腹する者あり、
<耒禺>刺する者あり、
碧血空しく秋草を染むるの悲劇を演ず。
抑衆意一致死を決せし所以のものは、鶴城は既に落城し、君公を初め、
父母共に国難に殉ぜしと信じ、且つ平素学校及び家庭に於て、
君辱めらるれば臣死すの教育主義に薫陶せられたるの結果に外ならず、
屍を馬革に裹まずして骨を風雨に淋す。
吁、何ぞ夫れ惨なるや、会津人士の典型は此れに在りて存するなり。
(飯沼貞吉は自刃したるも、藩士印出新造の妻に看護せられて蘇生し、
後政府に仕えて逓信技師となり、仙台に老せりと云ふ。)
★教導役・・・今の軍曹の如きもの。
★張巡(709〜757)・・・唐の玄宗の忠臣。安禄山の乱のときに<目隹>陽城を
死守したが、落城して捕虜となるも、賊を罵りながら死んだ。
★屍を馬革に裹(つつ)む・・・馬の革で屍を包む。
兵士が戦場で討ち死にすること。勇士が戦死を本懐とすること。
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これは メッセージ 125 (ajisai110701 さん)への返信です.
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