白虎隊『双影遊記』より 大江敬香
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/18 22:30 投稿番号: [125 / 735]
■白虎隊『双影遊記』より
大江敬香
飯盛山の形勝は幽邃を以て勝る。
・・・車を下り・・・山門に入る。
辨天祠あり、祠前に清流あり、祠側に深洞あり、水は祠を穿ち滾々として流る。
六石君曰はく、戊辰の役、八月二十三日、白虎隊の少年、戦敗るるや、
戸の口堰洞門に路を取り、此の深洞の水を乱りて茲に出でたる遺跡なりと。
水声依然旧を語るものに似たり。
石径を上り、栄螺塔を見、其の奇構宛も栄螺に摸したるに驚き、
歩して其の内部に入れば、段階あり、旋転上下するの工夫を凝らせしものに
して、挂くる所の額面は、皆孝子の善行を表彰せし絵画に非ざるは莫し。
余は一経過の間に於て、其意を用ふるの周到なるに応ず。
転じて宇賀神堂を過ぐ。
中に白虎隊十九人の肖像を蔵す。少年の豊姿、写して真に逼り、
温然且威風ある処は、自ら人を動かすものあり。
更に石階を上り、左顧すれば十九人の墳墓あり。
明治廿三年、其の廿三回忌辰に値ひ、建設する所に係る。
伊呂波順を以て序次す。
★少年の豊姿、の「豊」は、UP されませんので字を代えてあります。
もとの字は、|四画 フウ・ホウ です。
曰はく、井深茂太郎十六歳、曰はく、石山虎之助十六歳、
曰はく、伊藤俊彦十六歳、 曰はく、石田和助十六歳、
曰はく、池上新太郎十六歳、曰はく、伊藤悌二郎十七歳、
曰はく、林八十次十六歳、 曰はく、西川勝太郎十六歳、
曰はく、津川喜代美十六歳、曰はく、津田捨蔵十六歳、
曰はく、野村駒四郎十六歳、曰はく、梁瀬勝三郎十七歳、
曰はく、梁瀬武次十六歳、 曰はく、間瀬源七郎十七歳、
曰はく、有賀織之助十六歳、曰はく、安達藤三郎十七歳、
曰はく、篠田儀三郎十七歳、曰はく、鈴木源吉十六歳、
皆自刃の二字を名字年齢と与に石に刻し、以て千秋に朽ちざらしむ。
余・・・墓前に拝跪し、一杯の水を薦め、一爐の香を焚き、
瞑目数刻、以て忠魂を弔す。
★六石君・・・佐藤六石。大正三年、大江は六石の案内でこの地に遊んだ。
戊辰八月廿二日、西軍猪苗代を発し、破竹の勢に乗じ猛進するの
報あるや、会津城兵少なく、壮者は出で四境を守り、老者は運輸に困弊す。
城中の議、白虎二番隊を隊長日向内記に属し、出発せしむ。
一隊踴躍して出で、戸の口に至れば、西軍大小の砲弾雨の如く落下す。
然れども互に叫んで曰はく、一死国に殉ずるは此の時に在りと。
進んで藩の諸隊と合し、奮闘し、殺傷相当る。
夜半乃ち歇む。
翌廿三日、暁霧深くして咫尺を辨ぜず。
秋雲暗澹たり。既にして風起り、雨益々繁し。
白虎隊少年、此の機に乗じ、死を決して西軍に薄り、進撃二丁餘に至るや、
西軍大挙来り攻む。砲声恰も百雷の一時に落下する如し。
会兵死力を尽し防禦に労すと雖も、衆寡敵する能はず。
時に風益々大に、雨益々急なり。
西軍之に乗じて勢を加ふ。会兵終に支ふるに道なく全軍殆ど覆滅の状あり。
つづく
飯盛山の形勝は幽邃を以て勝る。
・・・車を下り・・・山門に入る。
辨天祠あり、祠前に清流あり、祠側に深洞あり、水は祠を穿ち滾々として流る。
六石君曰はく、戊辰の役、八月二十三日、白虎隊の少年、戦敗るるや、
戸の口堰洞門に路を取り、此の深洞の水を乱りて茲に出でたる遺跡なりと。
水声依然旧を語るものに似たり。
石径を上り、栄螺塔を見、其の奇構宛も栄螺に摸したるに驚き、
歩して其の内部に入れば、段階あり、旋転上下するの工夫を凝らせしものに
して、挂くる所の額面は、皆孝子の善行を表彰せし絵画に非ざるは莫し。
余は一経過の間に於て、其意を用ふるの周到なるに応ず。
転じて宇賀神堂を過ぐ。
中に白虎隊十九人の肖像を蔵す。少年の豊姿、写して真に逼り、
温然且威風ある処は、自ら人を動かすものあり。
更に石階を上り、左顧すれば十九人の墳墓あり。
明治廿三年、其の廿三回忌辰に値ひ、建設する所に係る。
伊呂波順を以て序次す。
★少年の豊姿、の「豊」は、UP されませんので字を代えてあります。
もとの字は、|四画 フウ・ホウ です。
曰はく、井深茂太郎十六歳、曰はく、石山虎之助十六歳、
曰はく、伊藤俊彦十六歳、 曰はく、石田和助十六歳、
曰はく、池上新太郎十六歳、曰はく、伊藤悌二郎十七歳、
曰はく、林八十次十六歳、 曰はく、西川勝太郎十六歳、
曰はく、津川喜代美十六歳、曰はく、津田捨蔵十六歳、
曰はく、野村駒四郎十六歳、曰はく、梁瀬勝三郎十七歳、
曰はく、梁瀬武次十六歳、 曰はく、間瀬源七郎十七歳、
曰はく、有賀織之助十六歳、曰はく、安達藤三郎十七歳、
曰はく、篠田儀三郎十七歳、曰はく、鈴木源吉十六歳、
皆自刃の二字を名字年齢と与に石に刻し、以て千秋に朽ちざらしむ。
余・・・墓前に拝跪し、一杯の水を薦め、一爐の香を焚き、
瞑目数刻、以て忠魂を弔す。
★六石君・・・佐藤六石。大正三年、大江は六石の案内でこの地に遊んだ。
戊辰八月廿二日、西軍猪苗代を発し、破竹の勢に乗じ猛進するの
報あるや、会津城兵少なく、壮者は出で四境を守り、老者は運輸に困弊す。
城中の議、白虎二番隊を隊長日向内記に属し、出発せしむ。
一隊踴躍して出で、戸の口に至れば、西軍大小の砲弾雨の如く落下す。
然れども互に叫んで曰はく、一死国に殉ずるは此の時に在りと。
進んで藩の諸隊と合し、奮闘し、殺傷相当る。
夜半乃ち歇む。
翌廿三日、暁霧深くして咫尺を辨ぜず。
秋雲暗澹たり。既にして風起り、雨益々繁し。
白虎隊少年、此の機に乗じ、死を決して西軍に薄り、進撃二丁餘に至るや、
西軍大挙来り攻む。砲声恰も百雷の一時に落下する如し。
会兵死力を尽し防禦に労すと雖も、衆寡敵する能はず。
時に風益々大に、雨益々急なり。
西軍之に乗じて勢を加ふ。会兵終に支ふるに道なく全軍殆ど覆滅の状あり。
つづく
これは メッセージ 124 (ajisai110701 さん)への返信です.
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