紫陽花亭日乗

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提婆達多 27   (最終回)

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/16 21:45 投稿番号: [110 / 735]
その走馬灯の中心の燈火というべきは、仏陀に対する復讐の念であった。
己があらゆるものを犠牲にして執拗にたくらんだ復讐をなしとげること
なく、みすみす敵をして仏陀の名声と利養を楽ましめつつ無念に死んでゆく
自分をよそめにみながら、シッタルタは己を棄て去りたるアジャセの
新なる帰依をうけ得々として勝ちほこっている。


提婆達多は恐しい知死期の嫉妬を燃やした。
彼は己の嫉妬が不条理だと知れば知るほどシッタルタが憎かった。


今や命までが彼を見棄てんとしているこの絶体絶命の時にたって、
提婆達多が恋うてやまぬものはヤショダラであった。

「ヤショダラよ、ヤショダラよ」


あれから三十年。幻に浮かぶはまだ花羞しい彼女の姿であった。


「ヤショダラよ、卿(おんみ)は私をおいて何処へ行った」


彼は彼女が何処へ行ったかを知らない。
はた己が何処へ行くかをも知らない。


翌朝、提婆達多は仏陀に告別に行くため轎(かご)に乗った。
人目をぬすんで手ばやく剃刀を法衣のしたにかくした。


「提婆達多」

そのとき忘れもせぬヤショダラの声を聞いた。

提婆達多は仏陀の精舎のそばにある池のほとりに立ったピッパラ樹の陰に
輿をおろさせた。
そして仏陀に、彼が最後の告別をなさんがためにきたことを伝える
使いをやった。

その使いがまだ戻らぬうちに、
提婆達多はなんともいえぬ胸苦しさを覚えた。
彼は水を呼ぼうとしたがすでに遅かった。
彼はひとつふたつ魚のように喘いだ。

そして苦しい長い一生をおえた。


もしそこに我々に救いがあるならば、
提婆達多こそまことに救われるであろう。
提婆達多が救われずば、我々の誰が救われるであろうか。


                      了

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