Re: 中内功氏
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/12/17 20:00 投稿番号: [2994 / 3149]
「松下の製品はな、松下が値段を付けて、松下がアフターサービスをするんや。君の所の世話にならずともやっていけるんや」松下幸之助のその声は怒気を含んでいた。それを言われたのは中内功、場所は間門の松下本社社長室、時は1964年、東京オリンピックの年である。関西の実業界では幸之助の存在は絶対的で、彼に睨まれたら商売はできない。中内のダイエーは問屋から大量に仕入れた「ナショナル」テレビを20パーセント引きで売り始めた。それはすぐ幸之助の耳に入り、中内が呼びつけられたのである。ナショナルは戦前から全国に「ナショナル店会」という販売網を持ち、製品価格は厳重に守られていたが、中内はこれに挑戦して価格破壊をやったのである。
まだ若かった中内は「松下さん、それは違うんじゃないですか」とやり返した。「ナショナルの製品が梱包されて工場を出たら、それはもう松下電器のものじゃない。価格は販社と消費者の間で決めてもいいんじゃないですか」と言うのである。怒り心頭に発した幸之助は問屋に圧力をかけ、ダイエーへの出荷を止めてしまった。意地っ張りと意地っ張りが喧嘩をして、その後、30年もの長きにわたり、ダイエーにナショナル・パナソニックの製品をみることはなかった。いま、その両人も故人となり、ダイエーは「産業再生機構」から「丸紅」系列に入り、バナソニックは泥沼の赤字に喘いでいる。
これは メッセージ 2993 (tok*o*cach*to3 さん)への返信です.
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