捕虜の償還(2)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/07/03 00:42 投稿番号: [938 / 1329]
>大概は現地で奴隷のような生を終えるけれども、
紆余曲折あげく帰って来たいわゆるファンヒャングニョ(還郷女)たちは
“多分身を汚したこと”という理由で家で追い出されるなどさげすみを受けた。
>見るに耐えない賃金人造が
‘戦争による不可避な状況’であることを入って、
指定した小川(洪提川)で身を洗えば過去を問わないという苦肉本まで用意した。
>しかし大部分は斜眼と冷待を耐えることができずに
首を結ぶとか惨めな生を引き続かなければならなかった。
これについては、仁祖実録の仁祖16年3月11日条に記録があります。
前の承旨である韓履謙の娘は、清軍に捕らわれた後、身代金を払って返還されたのだが、その婿が離縁を望んで訴えを起こした。捕虜となったことで貞操を失ったとされたのであるが、実際に貞節を失ったかという事実の有無が問題ではなく、捕虜になった時点で貞節を失ったこととイコールになってしまうという、非常に厳しい解釈でした。刑曹の役人は「良家の婦女で捕虜になり返還された者は多い。事情をよく斟酌しなくてはならない。これは重大な話なので、うちだけでは判断できない。大臣がたに協議をお願いします」としました。
で、領議政(首席大臣)の崔鳴吉は
「壬辰倭乱の後にもこのようなことがあったそうですが、ある王族が離婚をしようとしたのを宣祖はお許しになりませんでした。またある廷臣が妻を実家に送還して他の女と再婚したのですが、宣祖は後妻を妾の待遇として、前妻が死ぬまで正妻扱いさせませんでした。このほかにもこういう例は多かったようです。
私が瀋陽に行ったさい、返還された婦女を多く連れ帰りましたが、彼女たちとその夫は再会したとき泣いて抱き合い、それを見て泣かない者はいませんでした。もし、離縁されるというのであれば、返還を願う者はいなくなり、多くの婦女が異郷で死ぬことでしょう。
清人の誘惑をはねつけて返還されたものの、帰国途中で断食して死んだ女性や、交渉成立後に清人が違約して返還額をさらに吊り上げたため返還されず、ついに自刃した処女の話も聞きました。もし、彼女たちが無事帰国していれば自殺することはなかったでしょうか?貞節を守れていたとしても誰が証明できるのでしょう?宣祖のご処置を鑑みますに、戦乱という非常時のことを以て貞節がどうとか論じるべきではありません」
と言いました。
しかし、この後、捕虜になった夫人をもつ両班の家では、みな離縁し、復縁したものはなかったといいます。(然是後、士夫家子弟皆改娶、無復合者)
でこの条の最後には「史臣曰」として、「捕虜の身になった女性は、本心はどうあっても変事に臨んで自決できなかったことで貞節を失ったというべきだ。それを復縁させるというのは士大夫の家風を汚すものである。崔鳴吉がみだりに宣祖の故事を引いて発言したことは誤りである。(中略)100年の国俗を破壊し、朝鮮を野蛮にしたのは崔鳴吉である。なんと痛ましいことか!」とつけ加えられています。
忠臣不事二君、烈女不更二夫、此節義之所以有関於人国家、而棟梁乎宇宙者也。被リョ(手偏に虜)之女、雖曰非其本心、臨変而不能死、則其可謂之不失其節哉。既失其節、則与夫家、義已絶、決不可勒令復合、以汚士大夫之家風也。崔鳴吉既以執拗之見、妄引先朝之事、其於献議之辞、備陳難絶之意、甚矣、鳴吉之誤也。当時伝教、不載国乗之中、已無可拠。設有是教、亦非可法之規、則其可イ(言偏に委)以先朝之所行者、而復行於今日乎。先正有言曰以失節者配、是已失節也。復取失節之婦、事父母而奉宗祀、生子孫而継家世、寧有是理。噫、壊百年之国俗、挙三韓而夷之者鳴吉也、可勝痛哉。
ま、例によって自サイトの使いまわしなんですけどね。
紆余曲折あげく帰って来たいわゆるファンヒャングニョ(還郷女)たちは
“多分身を汚したこと”という理由で家で追い出されるなどさげすみを受けた。
>見るに耐えない賃金人造が
‘戦争による不可避な状況’であることを入って、
指定した小川(洪提川)で身を洗えば過去を問わないという苦肉本まで用意した。
>しかし大部分は斜眼と冷待を耐えることができずに
首を結ぶとか惨めな生を引き続かなければならなかった。
これについては、仁祖実録の仁祖16年3月11日条に記録があります。
前の承旨である韓履謙の娘は、清軍に捕らわれた後、身代金を払って返還されたのだが、その婿が離縁を望んで訴えを起こした。捕虜となったことで貞操を失ったとされたのであるが、実際に貞節を失ったかという事実の有無が問題ではなく、捕虜になった時点で貞節を失ったこととイコールになってしまうという、非常に厳しい解釈でした。刑曹の役人は「良家の婦女で捕虜になり返還された者は多い。事情をよく斟酌しなくてはならない。これは重大な話なので、うちだけでは判断できない。大臣がたに協議をお願いします」としました。
で、領議政(首席大臣)の崔鳴吉は
「壬辰倭乱の後にもこのようなことがあったそうですが、ある王族が離婚をしようとしたのを宣祖はお許しになりませんでした。またある廷臣が妻を実家に送還して他の女と再婚したのですが、宣祖は後妻を妾の待遇として、前妻が死ぬまで正妻扱いさせませんでした。このほかにもこういう例は多かったようです。
私が瀋陽に行ったさい、返還された婦女を多く連れ帰りましたが、彼女たちとその夫は再会したとき泣いて抱き合い、それを見て泣かない者はいませんでした。もし、離縁されるというのであれば、返還を願う者はいなくなり、多くの婦女が異郷で死ぬことでしょう。
清人の誘惑をはねつけて返還されたものの、帰国途中で断食して死んだ女性や、交渉成立後に清人が違約して返還額をさらに吊り上げたため返還されず、ついに自刃した処女の話も聞きました。もし、彼女たちが無事帰国していれば自殺することはなかったでしょうか?貞節を守れていたとしても誰が証明できるのでしょう?宣祖のご処置を鑑みますに、戦乱という非常時のことを以て貞節がどうとか論じるべきではありません」
と言いました。
しかし、この後、捕虜になった夫人をもつ両班の家では、みな離縁し、復縁したものはなかったといいます。(然是後、士夫家子弟皆改娶、無復合者)
でこの条の最後には「史臣曰」として、「捕虜の身になった女性は、本心はどうあっても変事に臨んで自決できなかったことで貞節を失ったというべきだ。それを復縁させるというのは士大夫の家風を汚すものである。崔鳴吉がみだりに宣祖の故事を引いて発言したことは誤りである。(中略)100年の国俗を破壊し、朝鮮を野蛮にしたのは崔鳴吉である。なんと痛ましいことか!」とつけ加えられています。
忠臣不事二君、烈女不更二夫、此節義之所以有関於人国家、而棟梁乎宇宙者也。被リョ(手偏に虜)之女、雖曰非其本心、臨変而不能死、則其可謂之不失其節哉。既失其節、則与夫家、義已絶、決不可勒令復合、以汚士大夫之家風也。崔鳴吉既以執拗之見、妄引先朝之事、其於献議之辞、備陳難絶之意、甚矣、鳴吉之誤也。当時伝教、不載国乗之中、已無可拠。設有是教、亦非可法之規、則其可イ(言偏に委)以先朝之所行者、而復行於今日乎。先正有言曰以失節者配、是已失節也。復取失節之婦、事父母而奉宗祀、生子孫而継家世、寧有是理。噫、壊百年之国俗、挙三韓而夷之者鳴吉也、可勝痛哉。
ま、例によって自サイトの使いまわしなんですけどね。
これは メッセージ 937 (toapanlang さん)への返信です.
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