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11月21日 3

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/11/22 08:03 投稿番号: [2751 / 4504]
(2)流動性危機の背景

①構造問題の蓄積と国際金融社会の評価ギャップ
  第一の点は90年代を通じて国内では成長構造の行き詰まりが自己認識され、閉塞感が次第に高まっていた5にもかかわらず、OECD加盟が視野に入った韓国に対する国際金融社会の評価は楽観的であり、このギャップが放置されていたことである。ギャップはいったん、不安が生じると、不安心理の拡散に大きく拍車をかけた。IMF合意を見た12月のわずか3ヶ月前の97年9月まで、韓国のソブリン格付けはいずれもAクラス(ムーディーズA1、S&PがA−、Fitch IBCAがAA−)で先進国水準に置かれていた。これらは危機が表面化し、IMF支援が決定してからむしろ下落の速度を速め、短期間にそれぞれ6段階、10段階、12段階下落していずれも投資不適格水準でのネガティブ・ウォッチとなった。格付けの変化は市場の混乱を後追いしつつ、なおかつ新たな混乱を惹起し、急激な流動性危機の引き金となった。
  危機以前の韓国では、適切なガバナンス構造を欠いた「財閥」が対外借り入れ依存型の放漫経営を行って不良債権を発生させ、その後、政府が拡張的経済政策と実質的な統制下にある市中銀行への支援を通じてこれらに対処する、といった構造調整パターンが繰り返されていた。この伝統は次第に「財閥」のモラル・ハザードを助長し、「財閥」への経済力集中という構造問題は国内ではかなり認識されるようになっていた。
  80年代末の賃金高騰は初めての国際収支黒字化(86−89年)による過剰流動性を発生させ、90年代初めには急激な住宅需要の増大・不動産価格の急騰を招いていた。「財閥」もまた一斉に事業拡大に乗り出したが、日本型バブルの発生を恐れた韓国政府は厳しい引き締めでバブル経済防止に全力を挙げた。92年から93年にかけては実質成長率が9%台から5%台に落ち込むと、「財閥」は政府の緊縮政策に対する大きな不満を抱くようになった。しかしOECD加盟に伴い、金融・資本の自由化アジェンダを固めた政府にとって過去型の救済政策はもはや不可能となりつつあり、拡大政策を主張する財界と政府の対立は次第に政治色を帯びて行った。
  両者の対立はやがて94−95年の円高による高成長回帰でいったんは解消されたが、「財閥」への経済力集中と破綻処理システム不在の問題はむしろ深刻化した。成長加速で韓国企業に対する楽観がさらに強まる一方、政府はOECD加盟に伴ってコミットした為替管理の自由化や金融資本市場の開放をいよいよ実施しなければならなくなったからである。外国人株式投資枠の拡大、「財閥」傘下にある総合金融会社(マーチャント・バンク)の国際金融進出許容、オフ・ショア取引に関する規制緩和など90年代中盤にかけては次々と行われ、「財閥」の国際資金調達は大きく多様化し、市場の楽観とあいまってコストも低下した。
  しかし他方で事業・組織の肥大化した「財閥」は淘汰されないといった「大馬不死」ルール(韓国版too-big-to-fail)は依然として暗黙のルールとして生きていたことから、この図式の下で「財閥」は実需規制が緩やかだった「基幹産業」への新規進出や、海外投資を争って拡大することとなった。円安への反転によって96年から97年にかけ、これら「財閥」の投資は少なからず行き詰まったが、当時の政府は「大馬不死」を食い止めるべく、むしろ意図的に政府救済を拒否し、市場の淘汰を待った。しかし現実的な倒産法、発生する不良債権処理など大企業破綻処理のメカニズムを持たないままでの淘汰はやがて信用収縮の拡散を通じて市場機能全体を麻痺させ、一層、内外の投資家や融資機関の不安を招く結果となった。


4に続きます。
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