明治憲法のもとでは
投稿者: hontokasila2 投稿日時: 2001/12/21 19:25 投稿番号: [17110 / 60270]
天皇はすべて内閣の補弼を得なければ決断できなかったはずです。
統帥権すら、実質的には自由にならなかったのです。
この点、ロシアのツァーとは対照的でした。
ロシアのツァーは自分の恣意的判断で開戦、終戦を決定できましたから。
つまり明治憲法下では天皇は現代と同様象徴だったのです。
終戦の詔勅は陸軍大臣の反対意見を強引に押し切ってなされました。
つまりこの時初めて、陛下は統帥権を発動したのです。
この意味で終戦の詔勅は明治憲法違反の疑いすらあります。
陛下は自分は明治憲法に従っただけだという自覚がありましたが、一方では「自分はもっと独裁的にふるまって軍部を抑えるべきではなかったか」という思いもあったそうです。
しかし明治憲法を守る限りはやはりできなかったでしょうね。
だから占領軍が天皇の戦争責任を問わなかったのは当然だと思います。
形ばかりの統帥権はあっても、実質的には象徴に過ぎず、戦争の当事者とは言えないからです。
憲法違反の疑いがあっても、終戦の詔勅を行ったのは、正しい判断であり、法的には「緊急避難」に該当すると思います。
なお、陛下はマッカーサーに合った時は「戦争の全責任は私にある」と述べられました。
マッカーサーは、この言葉に感動し、天皇制存続を決めたようです。
そして、占領政策も比較的穏和であり、日本にとって分の良いものとなりました。
占領政策を日本にとって有利に導いた点で、陛下は道義的な戦争責任をとったと思います。
また、宮内庁の改革や人間宣言も陛下のアィディアだったそうです。
陛下は統帥権のあった戦前よりもむしろ、法的に象徴として位置づけられた戦後の方が、自由に政治的力量を発揮したと思います。
私は陛下は傑出した政治家でもあったと思います。
これは メッセージ 17107 (tydkemvo さん)への返信です.
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