日韓歴史論争

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Re: 憲兵政治の恐怖

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/07/11 09:47 投稿番号: [3080 / 6952]
朝鮮人の警察や憲兵がやった事を日本人に摩り替えてるんだよな。朝鮮人の卑怯さを物語ってる。

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日本が韓国の警察制度の近代化に乗り出したのは、明治四十三年でし
た。警務総長には日本の憲兵司令官をあて、憲兵と警察を一元化しまし
た。
  一般に韓国民衆を弾圧するためと即断されがちですが、無差別に行な
われる韓国官憲の横暴や拷問を防ぎ、「義兵」などと称して行われてい
た山賊まがいのことや、親日派韓国人のテロ、襲撃を防ぐためには断固
たる措置が必要であったのです。
しかし、日本人は語学が出来ず、民情にも疎いので憲兵・警察の補助員
として韓国人を募集しました。当時、日本人憲兵一千七人、韓国人憲兵
補助員一千十二人、日本人巡査二千二百六十五人、韓国人巡査三千四百
二十八人で、いずれも韓国人の方が多かったのです。
  ところがこの補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴ら
す者が多く、悪弊を直すのに困りました。今村鞆著「歴史民族朝鮮漫談」
(昭和三年)には「朝鮮人は日本の両班取締りを感謝したが、下級補助員
(朝鮮人の補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)の横暴こそ、後の日本に
対する悪感情を生んだ。如何に横暴だったか、驚くべき事例を沢山知って
おり、一冊の本が出来る」と述べています。

                「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助

マッケンジー    27ー28頁、33頁、79頁、119−120頁

「監獄は呪詛の的となり、拷問は自由に行われていた。周期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首してしまい、裁判は売買された。」

1906年夏(韓国を保護国化してから1年後)「二つの監獄を実際に訪れてみた。その最初のものは平壌で見たのであるが、そこでは18人の男と1人の女が一つの監房に閉じこめられているのを見た。その男たちのうちの数人は木の柱にくくりつけられていた。囚人たちはやせ衰えており、その身体は恐ろしい病気の明白な徴候を示していた。彼らの衣服は最低のものであり、その監房は筆舌につくし難いほどに不潔であり、何らの身体労働や労働もなしに、数年間も監房に閉じこめられたままなのであった。或囚人は6年もその監房に閉じこめられてきたと言うのであった。

次の監獄、宣川(そんちょん・平安北道)のそれはもっとひどかった。その監獄の中はとても暗くて、部屋に入ってからしばらくは何も見えないほどであったが、地上に縛り付けられている3人の男がそこにいた。彼らの首と足は台柱にくくりつけられ、手は縛り合わされていた。部屋には明かりもなく通風窓もなかった。ただ僅かに壁に開けられた小さな穴があるだけであった。彼らの背には笞打ちで裂かれた恐ろしい傷跡があり、その手はきつく縛り付けた縄の為、所々骨が見えるほどに肉が裂けていた。そしてそれらの傷跡は、全く膿み放題になっていた。手足の上部は腫れ上がり、笞跡と水ぶくれができていた。1人の男の目はふさがっていて視力を失っており、まぶたからはたくさんの膿がたれ出ていた。多分両眼を笞でひっぱたかれたのであろう。男たちは終日動くこともなしに、こうして監禁されたままなのである。私は彼らを日の当たる場所に連れ出した。それは難しい作業であった。彼らのうちの1人は四肢が萎えてしまっていて、既に殆ど身体を動かすことが出来なくなっていた。彼らはみんな飢え衰えて、なにかを嘆願したり抗議したりする気力も失ってしまっていた。そこは私のこれまでに見た限りでの地獄への一歩手前であった。」
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