Re: 儒教世界の道徳
投稿者: pretzs002 投稿日時: 2006/03/28 09:27 投稿番号: [3016 / 9237]
兎亀さん、興味深い資料のご提示、ありがとうがざいました。
とても、おもしろく読めました。
>中国人は幼いときから偉い人や国家のために避諱すること、嘘をつくことを教えられる。だから嘘を不道徳と感じなくなる。これが嘘をつくのが中国人の習慣になっていることの副次的な理由である。
>最近のことだが、ある小学校で教師の生活を援助する目的で課外授業の教材を作成して児童に購入させ、その売り上げを教師の収入に充てていた。この購買費が児童に過大な負担になっているという告発の声があがって、教育局がその小学校を調査することになった。すると各クラスの担任は児童に、「学校の名誉をまもるために、本当のことは言ってはいけません」と命じたのである。そして児童は調査にやってきた教育局の人間に課外授業の教材など買ったことはありませんと声をそろえて答えた。児童の嘘は、自分のためではなくて学校の過ちを隠し、学校が批判を受けないため、要は他人のための嘘で、典型的な避諱行為である。教師が児童に嘘をつきなさいと教えたら、子供は嘘つきになるに決まっている。
>この嘘つきの習慣によって、中国は、虚言とそれから偽物の氾濫する国となった。
なるほどです。
子供の頃から、このようなことをさせられれば、嘘をつく罪悪感など生まれないかもしれませんね。
こちらでも、自分を虐待していた親を、嘘をついてまでかばう子供がいます。
そのような気持ちの、曲折、拡大版でしょうか。
韓カテ、中国カテでの疑問の一部が氷解しました。
(すみません、不勉強でして・・orz)
>どの国の民族の民族性にも良い面と悪い面がある。私は、避諱の文化は中国人の民族性の悪い面の一つで、中国人はこの悪い面を反省して変えなければならないと思っている。偉い人や国家のために都合の悪いことを隠したり、事実を誇張したり、デマをまき散らす伝統をなくさなければならない。当の中国人でさえ、虚言は現代社会と両立しないということに気がついている。だからこの2、3年、中国で“誠信(誠実と信用)”ということがしきりに言われるのである。だが、“誠信”であろうとすれば、まず第一に虚言で国家の対面を保とうとする避諱観念を抛擲しなければならない。いかなる情況においても本当のことを話す人が真の“誠信”の人である。
頭で理解はしているが、実際に行動に移せるか、と言うところなのでしょうね。
>今日のさまざまな現象を見ると、中国人の思想や思考様式は次第に避諱から離れる方向へ発展し、“誠信”へと近付きつつあると思える。
韓国でも、同じような流れだと考えてよいのでしょうか。
“誠信”の人が、増えているのか。
それにしても、儒教はあちらの国々にとっては、宗教なのですね、
あまりにも、無知すぎました。
私なりに、少々調べてみます。
とても、おもしろく読めました。
>中国人は幼いときから偉い人や国家のために避諱すること、嘘をつくことを教えられる。だから嘘を不道徳と感じなくなる。これが嘘をつくのが中国人の習慣になっていることの副次的な理由である。
>最近のことだが、ある小学校で教師の生活を援助する目的で課外授業の教材を作成して児童に購入させ、その売り上げを教師の収入に充てていた。この購買費が児童に過大な負担になっているという告発の声があがって、教育局がその小学校を調査することになった。すると各クラスの担任は児童に、「学校の名誉をまもるために、本当のことは言ってはいけません」と命じたのである。そして児童は調査にやってきた教育局の人間に課外授業の教材など買ったことはありませんと声をそろえて答えた。児童の嘘は、自分のためではなくて学校の過ちを隠し、学校が批判を受けないため、要は他人のための嘘で、典型的な避諱行為である。教師が児童に嘘をつきなさいと教えたら、子供は嘘つきになるに決まっている。
>この嘘つきの習慣によって、中国は、虚言とそれから偽物の氾濫する国となった。
なるほどです。
子供の頃から、このようなことをさせられれば、嘘をつく罪悪感など生まれないかもしれませんね。
こちらでも、自分を虐待していた親を、嘘をついてまでかばう子供がいます。
そのような気持ちの、曲折、拡大版でしょうか。
韓カテ、中国カテでの疑問の一部が氷解しました。
(すみません、不勉強でして・・orz)
>どの国の民族の民族性にも良い面と悪い面がある。私は、避諱の文化は中国人の民族性の悪い面の一つで、中国人はこの悪い面を反省して変えなければならないと思っている。偉い人や国家のために都合の悪いことを隠したり、事実を誇張したり、デマをまき散らす伝統をなくさなければならない。当の中国人でさえ、虚言は現代社会と両立しないということに気がついている。だからこの2、3年、中国で“誠信(誠実と信用)”ということがしきりに言われるのである。だが、“誠信”であろうとすれば、まず第一に虚言で国家の対面を保とうとする避諱観念を抛擲しなければならない。いかなる情況においても本当のことを話す人が真の“誠信”の人である。
頭で理解はしているが、実際に行動に移せるか、と言うところなのでしょうね。
>今日のさまざまな現象を見ると、中国人の思想や思考様式は次第に避諱から離れる方向へ発展し、“誠信”へと近付きつつあると思える。
韓国でも、同じような流れだと考えてよいのでしょうか。
“誠信”の人が、増えているのか。
それにしても、儒教はあちらの国々にとっては、宗教なのですね、
あまりにも、無知すぎました。
私なりに、少々調べてみます。
これは メッセージ 3009 (usagigamemaimai さん)への返信です.