儒教世界の道徳
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/03/27 01:11 投稿番号: [3009 / 9237]
>>彼らの持っている「道徳」と私たちが想像する「道徳」には隔たりがあるようですね。
>そうですね、日本人の感覚で考えることが難しいところが、多々ありそうです。
富と権力からは少しズレますが、こちらの文章がわかり易くかいてありました。
(とはいってもいささか私としては理解し難い、というより理解をこえた「道徳」でありますです)
↓林思雲 「中国の民族性から見る中日関係――中国人の“避諱”観念と虚言」
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/Column/2005/c20050328.htm
(さわりだけなので全文はリンク先でお読みください)
_________________________________
〜略〜
長い歴史の間、中国人は儒教の思想体系の中に漬かっていた。日本でも江戸時代には朱子学が官学とされて知識人はこぞって儒学を学んだが、日本人には孔子や朱子の教えは学問でしかない。しかし中国人にとっては孔子や朱子の教えは宗教である。だから中国では“儒学”ではなく“儒教”と呼ぶ。
宗教である以上、行動規範もしくは道徳を課す。儒教の根本は忠・孝・礼・仁であるが、そのほかに“避諱〔金谷注・忌避〕”という重要な項目がある。
辞典を引いてみると、“諱”とは「隠す」という意味である。“避諱”とは、恥となる物事を隠すことだ。自分の恥ではなくて他人の恥をである。
『論語』に、中国人の“避諱”とはどのようなものであるかを見事に表している逸話がある。ある人が孔子に、「私の村にはとても正直な人物がいて、父親が他人の羊を盗んだ時にそれを告発しました」と言った。孔子は、「その人物を正直とは思いません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と答えた〔金谷注・『論語』「子路第十三」〕。
〜略〜
伝統的な中国の考え方では偉大な人物の恥部や優れた人物の失敗はできるかぎり隠蔽するのが道徳的な行いとされる。これは逆に言えば、偉大な人物の恥を暴いたり優れた人物の失敗をあげつらったりすることは道徳にはずれるということだ。現代の中国では国家がいわば偉大な人物である。だから国の恥になることや過ちを隠すことが中国人の基本的な義務の一つとなっている。国家の威信を護るために嘘をついたりデマを飛ばすのは推奨や賞賛に値する行為なのである。
日本人はいざ知らず、真相を暴露すれば国家の威信を傷つけるような場合、中国人なら十中八九、真相を隠す道を選ぶ。そしてその中には嘘をつく者が必ずいる。
中国に科学が誕生しなかった最大の原因の一つは避諱の文化だと、私は考えている。中国人にとって真実はさして重要ではないからだ。偉大な人物や国家や自民族の名誉のほうが重要であって、必要とあらば真実などはどこかへ放り出してそちらを護る。
西洋の歴史研究者は歴史の真相を明らかにすることを歴史研究の任務と見なすが、中国の歴史研究者は国家の威信を擁護することを第一の任務と考える。中国の歴史学者の編算する史書では、“偉大で、栄光ある、いつも正しい”国家の形象を樹立するために、不都合な事実は隠蔽されるか改竄される〜後略〜
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>そうですね、日本人の感覚で考えることが難しいところが、多々ありそうです。
富と権力からは少しズレますが、こちらの文章がわかり易くかいてありました。
(とはいってもいささか私としては理解し難い、というより理解をこえた「道徳」でありますです)
↓林思雲 「中国の民族性から見る中日関係――中国人の“避諱”観念と虚言」
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/Column/2005/c20050328.htm
(さわりだけなので全文はリンク先でお読みください)
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〜略〜
長い歴史の間、中国人は儒教の思想体系の中に漬かっていた。日本でも江戸時代には朱子学が官学とされて知識人はこぞって儒学を学んだが、日本人には孔子や朱子の教えは学問でしかない。しかし中国人にとっては孔子や朱子の教えは宗教である。だから中国では“儒学”ではなく“儒教”と呼ぶ。
宗教である以上、行動規範もしくは道徳を課す。儒教の根本は忠・孝・礼・仁であるが、そのほかに“避諱〔金谷注・忌避〕”という重要な項目がある。
辞典を引いてみると、“諱”とは「隠す」という意味である。“避諱”とは、恥となる物事を隠すことだ。自分の恥ではなくて他人の恥をである。
『論語』に、中国人の“避諱”とはどのようなものであるかを見事に表している逸話がある。ある人が孔子に、「私の村にはとても正直な人物がいて、父親が他人の羊を盗んだ時にそれを告発しました」と言った。孔子は、「その人物を正直とは思いません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と答えた〔金谷注・『論語』「子路第十三」〕。
〜略〜
伝統的な中国の考え方では偉大な人物の恥部や優れた人物の失敗はできるかぎり隠蔽するのが道徳的な行いとされる。これは逆に言えば、偉大な人物の恥を暴いたり優れた人物の失敗をあげつらったりすることは道徳にはずれるということだ。現代の中国では国家がいわば偉大な人物である。だから国の恥になることや過ちを隠すことが中国人の基本的な義務の一つとなっている。国家の威信を護るために嘘をついたりデマを飛ばすのは推奨や賞賛に値する行為なのである。
日本人はいざ知らず、真相を暴露すれば国家の威信を傷つけるような場合、中国人なら十中八九、真相を隠す道を選ぶ。そしてその中には嘘をつく者が必ずいる。
中国に科学が誕生しなかった最大の原因の一つは避諱の文化だと、私は考えている。中国人にとって真実はさして重要ではないからだ。偉大な人物や国家や自民族の名誉のほうが重要であって、必要とあらば真実などはどこかへ放り出してそちらを護る。
西洋の歴史研究者は歴史の真相を明らかにすることを歴史研究の任務と見なすが、中国の歴史研究者は国家の威信を擁護することを第一の任務と考える。中国の歴史学者の編算する史書では、“偉大で、栄光ある、いつも正しい”国家の形象を樹立するために、不都合な事実は隠蔽されるか改竄される〜後略〜
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これは メッセージ 3007 (pretzs002 さん)への返信です.