「パチンコ業界を潰せ」②
投稿者: kamisanga3 投稿日時: 2003/05/02 20:46 投稿番号: [1776 / 9237]
多分待ってましたよねぇ〜
なんか風呂敷がでかすぎて、話がまとまらなくなってしまいました。んで、箇条書きで逃げたいと思います。(笑
①娯楽の王様パチンコは、そもそも本当に娯楽なのか。
*****
では娯楽そのものは何か。大体之を二つの特徴から整理して行くことが出来ると思う。第一は或る社会性であり、第二は或る積極性と云っていい。娯楽の有つ社会性の特色は、それが多くの場合、個人の単独な享受ではなくて必ず相手又は同志があるということに現われる。囲碁・将棋・などの手腕に基く勝負、競馬其の他のような知識と予見とに基く勝負、又は完全な偶然を建前とする勝負(賭博)、単なる競技(撞球其の他の類)、運動による競技(野球・水上・トラック・フィールド・などの競技的なスポーツ)などは勿論であるが、併しそれより大事なのは、例えば演劇・映画・其の他の演芸・スポーツ・等々の鑑賞が、事実に於て決して単独の観客によってはなされないということであり、多数の観客大衆を俟って初めて興行的に可能であるばかりでなく、之を俟ってその鑑賞そのものが初めて娯楽としての好さを生じて来るということである(之が商売乃至職業である場合を勿論除いて考えねばならぬが)。こうしたものは単なる普通の意味に於ける芸術的な鑑賞ではない、同時に一つの社交行為であることを忘れてはならぬ。折角芝居を見に行って、観客が寥々としていること程、ガッカリすることはあるまい。劇場が大衆的なものであればある程、立派で華かなものであることを要求される理由も亦、この社交性にあるのだ。
娯楽的な意味の勝っている芸術は、寧ろこういう一種の社交感をその芸術内容の一つとしているだろう。だが芸術のことは後にして、会食やティーパーティーやダンスパーティーは、明らかに社交的娯楽の意味を有っている。勿論全く個人的にも行なわれ得る娯楽もないではない。独りで講談本を読むのも、独りで流れに糸を垂れるのも、或いは体育的な意味に於ける個人スポーツ(勝負事や社交としてのスポーツではなく)も、強いて云えば娯楽に数えていい場合が多いかも知れない。だが体育さえもそれが本当に社会化されて日常生活に入り込む時は、マスゲームのようなものにならざるを得ない。そしてこういう風に社会化されて日常生活に浸潤する場合、それは同時に娯楽的な意味を得て来るのである。同様なことは娯楽としての音楽についてもその通りに云えるし、登山・ハイキング・旅行・から始めて酒席さえも亦、或る限度の相手を必要とする。それが娯楽のカテゴリーにぞくする限りはである。
*****
(「娯楽論」――民衆と娯楽・その積極性と社会性・――戸坂潤)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/3670.html
履歴書の趣味欄に「競馬・パチンコ」と書く人が存在します。
ギャンブルと言うカテゴリーにおいての競馬・パチンコを次の章へ繋ぎます。
なんか風呂敷がでかすぎて、話がまとまらなくなってしまいました。んで、箇条書きで逃げたいと思います。(笑
①娯楽の王様パチンコは、そもそも本当に娯楽なのか。
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では娯楽そのものは何か。大体之を二つの特徴から整理して行くことが出来ると思う。第一は或る社会性であり、第二は或る積極性と云っていい。娯楽の有つ社会性の特色は、それが多くの場合、個人の単独な享受ではなくて必ず相手又は同志があるということに現われる。囲碁・将棋・などの手腕に基く勝負、競馬其の他のような知識と予見とに基く勝負、又は完全な偶然を建前とする勝負(賭博)、単なる競技(撞球其の他の類)、運動による競技(野球・水上・トラック・フィールド・などの競技的なスポーツ)などは勿論であるが、併しそれより大事なのは、例えば演劇・映画・其の他の演芸・スポーツ・等々の鑑賞が、事実に於て決して単独の観客によってはなされないということであり、多数の観客大衆を俟って初めて興行的に可能であるばかりでなく、之を俟ってその鑑賞そのものが初めて娯楽としての好さを生じて来るということである(之が商売乃至職業である場合を勿論除いて考えねばならぬが)。こうしたものは単なる普通の意味に於ける芸術的な鑑賞ではない、同時に一つの社交行為であることを忘れてはならぬ。折角芝居を見に行って、観客が寥々としていること程、ガッカリすることはあるまい。劇場が大衆的なものであればある程、立派で華かなものであることを要求される理由も亦、この社交性にあるのだ。
娯楽的な意味の勝っている芸術は、寧ろこういう一種の社交感をその芸術内容の一つとしているだろう。だが芸術のことは後にして、会食やティーパーティーやダンスパーティーは、明らかに社交的娯楽の意味を有っている。勿論全く個人的にも行なわれ得る娯楽もないではない。独りで講談本を読むのも、独りで流れに糸を垂れるのも、或いは体育的な意味に於ける個人スポーツ(勝負事や社交としてのスポーツではなく)も、強いて云えば娯楽に数えていい場合が多いかも知れない。だが体育さえもそれが本当に社会化されて日常生活に入り込む時は、マスゲームのようなものにならざるを得ない。そしてこういう風に社会化されて日常生活に浸潤する場合、それは同時に娯楽的な意味を得て来るのである。同様なことは娯楽としての音楽についてもその通りに云えるし、登山・ハイキング・旅行・から始めて酒席さえも亦、或る限度の相手を必要とする。それが娯楽のカテゴリーにぞくする限りはである。
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(「娯楽論」――民衆と娯楽・その積極性と社会性・――戸坂潤)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/3670.html
履歴書の趣味欄に「競馬・パチンコ」と書く人が存在します。
ギャンブルと言うカテゴリーにおいての競馬・パチンコを次の章へ繋ぎます。
これは メッセージ 1772 (kamisanga3 さん)への返信です.