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ウリは台湾のお師匠さんだったニダ2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/02 22:09 投稿番号: [7338 / 10735]
■民主化運動の第一歩、誕生会を口実に集合

  一方、光州事件の前年の79年12月に台湾で起きたのが、美麗島事件だ。
  その6年前に米国留学から帰って弁護士をしていた姚嘉文(ヤオ・チアウェン)さん(69)は、早朝の自宅で逮捕された。軍事裁判で反乱罪とされて懲役12年の判決を受け、獄中生活を強いられた。翌年2月には、この事件で逮捕された仲間の家が襲われ、その母親と幼い娘たちが惨殺される事件も起きた。
  「でも、あの事件で台湾の状況は大きく変わり、民主化へと進んだ」。そう振り返る姚さんは、87年に仮釈放され、結成されたばかりの野党・民主進歩党の主席になった。今は陳水扁(チェン・ショイピエン)政権のもとで、考試院(人事院に相当)の院長を務めている。
  事件当時の台湾は、中国大陸で共産党との内戦に敗れて逃げてきた国民党の独裁が続いていた。49年からの長い戒厳令で、報道・結社の自由もなかった。それでも姚さんたちは70年代後半から結婚式や誕生会を口実に集まり、民主化運動を始めた。「美麗島」という雑誌社を作ったのも、国民党以外の政党が禁じられていたからだ。
  厳しい空気が緩んだのは、国民党のカリスマ的リーダー、蒋介石(チアン・チエシー)(しょう・かいせき)が75年に亡くなったことが大きかった。それが姚さんの実感だ。この点でも、18年間にわたって権勢をふるった朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が79年に側近に暗殺された韓国と状況が似ていた。
  後継者たちによる武力弾圧は、市民の反発を買っただけでなく、国際社会の監視の目にもさらされた。姚さんは言う。
  「法廷に海外の人権団体も傍聴に来ている前で、長々と戒厳令解除などの主張をすることができた。前は1日で出た判決が1週間以上もかかったし、反乱罪で懲役12年は一番軽い。死刑にできなかった国民党には大きなダメージだったはずです」
  台湾大の周婉窈(チョウ・ワンヤオ)教授(52)は、美麗島事件の意義を「台湾全島に政治の覚醒(かくせい)を起こしたこと」ととらえる。「政治に無関心だった台湾人が関心を向けるようになった。国民党は昔のままの弾圧で民主化を抑えることはできないと自覚した」というのだ。
  とはいえ、「本当の民主化」は、87年の戒厳令解除まで待たねばならなかった。同じ87年に大規模な民主化運動が広がり、独裁政権側が「民主化宣言」に追い込まれた韓国とここでもよく似ている。
  実は周教授も、学生時代に民主化運動をした体験がある。刺激になったのは、韓国だったという。「女性が鉄条網をかいくぐって闘う姿を見て、同じ女性として励まされました。韓国は大がかりなデモができていいなあ、と思ったこともあります」
  しかし、あまりに激しい運動は光州事件のような弾圧も招くという教訓もあったから、台湾は80年代に非暴力に徹した。そう振り返る民主化運動の闘士もいる。



あれれ、3まで行くことになった。
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