ベトナム戦争はウリを豊かにしたニダ2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/02 07:08 投稿番号: [6481 / 10735]
■韓国軍による虐殺、民主化で明らかに
99年、韓国の「ベトナム戦争」観を揺さぶる出来事が起きた。
主要な週刊誌である「ハンギョレ21」が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、女性をたくさん殺していた」との記事を掲載したのだ。
記事を書いたのは、ベトナムに留学中だった歴史専攻の大学院生、具秀セイ(ク・スジョン)さん(41)。韓国は92年にベトナムと国交を正常化し、具さんは翌年に留学した。97年暮れには、長いこと軍事政権によって弾圧されていた金大中(キムデジュン)氏が大統領に当選。こうした状況でパンドラの箱が開けられた。
ホーチミン市で今も事件の調査を続ける具さんに会った。きっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム当局の内部文書を入手したことだったという。「妊婦や子どもを殺したという内容に驚いた。生き残った人から話を聞き、文書の内容が間違いないことを確認した」。具さんは、自らの聞き取りをもとに虐殺の被害が少なくとも9000人に及ぶとみる。
かつて韓国軍が駐屯していたビンディン省。タイビン村では、アヒルや鶏が小道を横切り、水田では水牛が遊んでいた。
「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさん(56)は、突然、ズボンを下ろして足の傷を見せた。手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が体中に残っている。痛みに耐えられないときは、酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。
事件は66年2月に起きた。朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を1カ所に集め、うつぶせにさせた。一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂(さくれつ)させた。12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。母に何もしてあげられず申し訳ない」。村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。
犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。虎のマークをつけた猛虎部隊の兵士が、手榴弾を手に村人を追い立てる。家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。ロンさんは、壁画を指さしながら「パク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。
ベトナムでは、虐殺事件のあった省の博物館が実態調査を進めている。「生後数カ月の子どもや老人が殺されている。赤ん坊や年寄りが武器を持っていますか。無抵抗です。本当にひどい」。フーイエン省の調査の責任者、グエン・ティ・キムホア副館長(47)が、虐殺の場所と犠牲者の数をまとめた報告書を読み上げた。省内で33カ所679人の犠牲を確認したという。
なぜ、武装していない人をたくさん殺したのか。聖公会大の韓洪九(ハ・ノング)教授は、朝鮮戦争との関連を指摘する。「兵士たちは、朝鮮戦争を体験した。共産主義者は人間ではない、殺されなければならない、という反共イデオロギーの中で成長した。『アカ狩り』への心理的な準備が整っていたのです」
韓国では、具さんの記事によって市民たちが動いた。民主化運動の担い手も多かった。「ハンギョレ21」で告発キャンペーンを展開した高ケイ兌(コギョンテ)記者(40)は「私たちは、日本の植民地支配の被害者だった。ベトナム戦争でも兵士が枯れ葉剤を浴びるなど、あくまで被害者だと思っていた。しかし虐殺が明るみに出て、加害者だったことがさらけ出された」と話す。
読者たちの募金でベトナムに慰霊公園ができた。韓国の市民団体が慰霊碑を建て、被害者に生活費を支援したり家を修理したりした。韓国人医師がボランティアで村の人たちを診察し、若者が現地でキャンプをして歴史を学ぶ。市民による謝罪と和解の行動は今も続いている。こうした動きに押されるかのように韓国政府も、学校や病院の建設を援助している。
98年、金大中大統領はハノイを訪れ、ベトナム戦争についてこう述べた。
「過去の一時期、不幸な時期があったことを遺憾に思う」
この言葉に対し、ベトナムのファン・バン・カイ首相は「過去に区切りをつけ、未来を見つめよう」と述べただけだった。共産党独裁のもと、ドイモイと呼ばれる改革開放で経済発展を進めるベトナムにとって、韓国は重要なパートナーだ。そうした配慮もうかがわれる。
韓国軍は虐殺について、きちんとした真相調査をしていない。「包括的な過去の清算」を掲げてきた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、軍事政権による人権侵害の調査などを進めてきたが、なおこの問題に手をつけるまでには至っていない。
99年、韓国の「ベトナム戦争」観を揺さぶる出来事が起きた。
主要な週刊誌である「ハンギョレ21」が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、女性をたくさん殺していた」との記事を掲載したのだ。
記事を書いたのは、ベトナムに留学中だった歴史専攻の大学院生、具秀セイ(ク・スジョン)さん(41)。韓国は92年にベトナムと国交を正常化し、具さんは翌年に留学した。97年暮れには、長いこと軍事政権によって弾圧されていた金大中(キムデジュン)氏が大統領に当選。こうした状況でパンドラの箱が開けられた。
ホーチミン市で今も事件の調査を続ける具さんに会った。きっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム当局の内部文書を入手したことだったという。「妊婦や子どもを殺したという内容に驚いた。生き残った人から話を聞き、文書の内容が間違いないことを確認した」。具さんは、自らの聞き取りをもとに虐殺の被害が少なくとも9000人に及ぶとみる。
かつて韓国軍が駐屯していたビンディン省。タイビン村では、アヒルや鶏が小道を横切り、水田では水牛が遊んでいた。
「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさん(56)は、突然、ズボンを下ろして足の傷を見せた。手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が体中に残っている。痛みに耐えられないときは、酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。
事件は66年2月に起きた。朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を1カ所に集め、うつぶせにさせた。一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂(さくれつ)させた。12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。母に何もしてあげられず申し訳ない」。村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。
犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。虎のマークをつけた猛虎部隊の兵士が、手榴弾を手に村人を追い立てる。家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。ロンさんは、壁画を指さしながら「パク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。
ベトナムでは、虐殺事件のあった省の博物館が実態調査を進めている。「生後数カ月の子どもや老人が殺されている。赤ん坊や年寄りが武器を持っていますか。無抵抗です。本当にひどい」。フーイエン省の調査の責任者、グエン・ティ・キムホア副館長(47)が、虐殺の場所と犠牲者の数をまとめた報告書を読み上げた。省内で33カ所679人の犠牲を確認したという。
なぜ、武装していない人をたくさん殺したのか。聖公会大の韓洪九(ハ・ノング)教授は、朝鮮戦争との関連を指摘する。「兵士たちは、朝鮮戦争を体験した。共産主義者は人間ではない、殺されなければならない、という反共イデオロギーの中で成長した。『アカ狩り』への心理的な準備が整っていたのです」
韓国では、具さんの記事によって市民たちが動いた。民主化運動の担い手も多かった。「ハンギョレ21」で告発キャンペーンを展開した高ケイ兌(コギョンテ)記者(40)は「私たちは、日本の植民地支配の被害者だった。ベトナム戦争でも兵士が枯れ葉剤を浴びるなど、あくまで被害者だと思っていた。しかし虐殺が明るみに出て、加害者だったことがさらけ出された」と話す。
読者たちの募金でベトナムに慰霊公園ができた。韓国の市民団体が慰霊碑を建て、被害者に生活費を支援したり家を修理したりした。韓国人医師がボランティアで村の人たちを診察し、若者が現地でキャンプをして歴史を学ぶ。市民による謝罪と和解の行動は今も続いている。こうした動きに押されるかのように韓国政府も、学校や病院の建設を援助している。
98年、金大中大統領はハノイを訪れ、ベトナム戦争についてこう述べた。
「過去の一時期、不幸な時期があったことを遺憾に思う」
この言葉に対し、ベトナムのファン・バン・カイ首相は「過去に区切りをつけ、未来を見つめよう」と述べただけだった。共産党独裁のもと、ドイモイと呼ばれる改革開放で経済発展を進めるベトナムにとって、韓国は重要なパートナーだ。そうした配慮もうかがわれる。
韓国軍は虐殺について、きちんとした真相調査をしていない。「包括的な過去の清算」を掲げてきた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、軍事政権による人権侵害の調査などを進めてきたが、なおこの問題に手をつけるまでには至っていない。
これは メッセージ 6480 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
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