「強盛大国」の黎明 1
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/13 17:55 投稿番号: [3720 / 10735]
4カ月の平壌滞在を終えて
「強盛大国」の黎明が見える
7月末から11月末までの4カ月間、特派員として平壌に滞在した。ミサイル発射訓練の実施、核実験の成功など、米国の強硬政策に対抗して朝鮮が一連の動きを示した時期とちょうど重なった。日本のマスコミは、今にも戦争が始まるような報道と「北朝鮮バッシング」を続けていたが、平壌をはじめとする朝鮮国内はいたって平穏な雰囲気に包まれていた。滞在期間に見聞したことを、核実験後の平壌と経済の2点に分けてレポートする。(李松鶴記者)
「驚くほど」の平穏
新築された貞伯協同農場の住居。毎年30棟ずつ建てていく予定
核実験の実施を正式に発表した10月3日の朝鮮外務省声明、核実験が成功裏に行われたことを伝える同9日の朝鮮中央通信社の報道があった両日、平壌は「驚くほど」平穏だった。「驚くほど」とあえて強調したのは、当時の日本のメディアの慌てふためきぶりとはあまりにも対照的だったからだ。
収穫期を迎えていた当時の平壌では、例年のように稲刈りを成功裏に終えるために奮闘するよう呼びかけられていた。核実験成功のニュースに触れた平壌市民は、「米国が核で脅している以上、私たちがそれを核で抑止するのは当然のこと」と口をそろえていた。そのうえで、「米国はこれで、6者会談に出ざるをえないだろう。いずれにしても、自力で核保有国になったことはとても誇らしい」と自負心を口にする人が多かった。
とはいえ、朝鮮のメディアが好戦的な表現を使うことは決してなく、あくまでも問題は対話を通じて解決すべきだという従来の立場を強調していた。
平壌では、稲刈りを手伝うために各機関から多くの人が郊外の農村に赴いたが、コメ、トウモロコシとも豊作だったようだ。農村に出向いたある人は、「いくら刈り入れてもまったく作業が進んだような感じがしなかった」と話していた。そのせいもあって、核実験の話題はあっという間に「忘れ去られ」、もっぱら収穫の話で持ちきりだったというのが正直なところだ。
収穫を終えたあとの話題は「キムジャン」。夏場に日照時間が多かったことはコメ、トウモロコシにはよかったが、野菜、とくに白菜には悪影響を与えたようで、例年に比べると収穫量が少ないうえに葉が硬い。朝鮮では、キムチを漬けるのは女性だが、白菜の確保は夫の役割だ。この間、女性たちの間では「夫がどれだけおいしい白菜を確保するかによって、これから1年間食べるキムチの味が変わってくる」という話で持ちきりだった。
核実験後、変わったことが一つだけあった。
平壌を訪れる在日同胞の数が極端に減ったことだ。日本政府が独自に「制裁」を科したためだが、それでも神戸、東北、北海道、愛知、東京の各朝高生徒らが修学旅行で祖国を訪れたほか、7月には朝大の生徒らも訪問した。
彼らは一様に「日本にいる両親に電話をするととても心配するが、朝鮮の現実に触れると取り越し苦労であることがわかる。日本のメディアの『北朝鮮バッシング』がいかに根も葉もないウソであるかが実感できる」と語った。
在日同胞がほとんどいない平壌ホテルで、現在「多数派」を占めているのが、中国人企業家たちだ。彼らは朝鮮の工場、企業所と事業提携や契約を結ぶために来ている。国連の制裁決議に賛成した中国だが、実質的には有名無実。朝鮮の新義州と中国の丹東を結ぶ「朝中親善の橋」では、両国の人たちがひっきりなしに往来していた。
また、南の民間団体、地方自治体代表団もひんぱんに訪北しており、ロシアやヨーロッパの代表団も後を絶たない。日本では一般的に「孤立無援の北朝鮮」と認識されているが、前述の生徒たちの言葉にもあるように、日本メディアの報道は、わい曲の域を超え、ねつ造に近いといえる。
朝米間では6者会談再開に合意した。核実験成功後の平壌市民たちの「予想」が現実になったわけだ。今になって思えば市民たちがいつもと変わらぬ生活を送っていたのは、彼らなりの確固とした自信の表れだったのだろう。
2に続きます。
7月末から11月末までの4カ月間、特派員として平壌に滞在した。ミサイル発射訓練の実施、核実験の成功など、米国の強硬政策に対抗して朝鮮が一連の動きを示した時期とちょうど重なった。日本のマスコミは、今にも戦争が始まるような報道と「北朝鮮バッシング」を続けていたが、平壌をはじめとする朝鮮国内はいたって平穏な雰囲気に包まれていた。滞在期間に見聞したことを、核実験後の平壌と経済の2点に分けてレポートする。(李松鶴記者)
「驚くほど」の平穏
新築された貞伯協同農場の住居。毎年30棟ずつ建てていく予定
核実験の実施を正式に発表した10月3日の朝鮮外務省声明、核実験が成功裏に行われたことを伝える同9日の朝鮮中央通信社の報道があった両日、平壌は「驚くほど」平穏だった。「驚くほど」とあえて強調したのは、当時の日本のメディアの慌てふためきぶりとはあまりにも対照的だったからだ。
収穫期を迎えていた当時の平壌では、例年のように稲刈りを成功裏に終えるために奮闘するよう呼びかけられていた。核実験成功のニュースに触れた平壌市民は、「米国が核で脅している以上、私たちがそれを核で抑止するのは当然のこと」と口をそろえていた。そのうえで、「米国はこれで、6者会談に出ざるをえないだろう。いずれにしても、自力で核保有国になったことはとても誇らしい」と自負心を口にする人が多かった。
とはいえ、朝鮮のメディアが好戦的な表現を使うことは決してなく、あくまでも問題は対話を通じて解決すべきだという従来の立場を強調していた。
平壌では、稲刈りを手伝うために各機関から多くの人が郊外の農村に赴いたが、コメ、トウモロコシとも豊作だったようだ。農村に出向いたある人は、「いくら刈り入れてもまったく作業が進んだような感じがしなかった」と話していた。そのせいもあって、核実験の話題はあっという間に「忘れ去られ」、もっぱら収穫の話で持ちきりだったというのが正直なところだ。
収穫を終えたあとの話題は「キムジャン」。夏場に日照時間が多かったことはコメ、トウモロコシにはよかったが、野菜、とくに白菜には悪影響を与えたようで、例年に比べると収穫量が少ないうえに葉が硬い。朝鮮では、キムチを漬けるのは女性だが、白菜の確保は夫の役割だ。この間、女性たちの間では「夫がどれだけおいしい白菜を確保するかによって、これから1年間食べるキムチの味が変わってくる」という話で持ちきりだった。
核実験後、変わったことが一つだけあった。
平壌を訪れる在日同胞の数が極端に減ったことだ。日本政府が独自に「制裁」を科したためだが、それでも神戸、東北、北海道、愛知、東京の各朝高生徒らが修学旅行で祖国を訪れたほか、7月には朝大の生徒らも訪問した。
彼らは一様に「日本にいる両親に電話をするととても心配するが、朝鮮の現実に触れると取り越し苦労であることがわかる。日本のメディアの『北朝鮮バッシング』がいかに根も葉もないウソであるかが実感できる」と語った。
在日同胞がほとんどいない平壌ホテルで、現在「多数派」を占めているのが、中国人企業家たちだ。彼らは朝鮮の工場、企業所と事業提携や契約を結ぶために来ている。国連の制裁決議に賛成した中国だが、実質的には有名無実。朝鮮の新義州と中国の丹東を結ぶ「朝中親善の橋」では、両国の人たちがひっきりなしに往来していた。
また、南の民間団体、地方自治体代表団もひんぱんに訪北しており、ロシアやヨーロッパの代表団も後を絶たない。日本では一般的に「孤立無援の北朝鮮」と認識されているが、前述の生徒たちの言葉にもあるように、日本メディアの報道は、わい曲の域を超え、ねつ造に近いといえる。
朝米間では6者会談再開に合意した。核実験成功後の平壌市民たちの「予想」が現実になったわけだ。今になって思えば市民たちがいつもと変わらぬ生活を送っていたのは、彼らなりの確固とした自信の表れだったのだろう。
2に続きます。
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