朝鮮民族

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義務を果たさず要求はします。(2)

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/06/27 16:48 投稿番号: [1163 / 10735]
そうして過ごしているうちに、朝鮮に帰るための船が沈んだ話(「浮島丸事件」)や、故郷の済州島で内戦状態になっている話(「済州島4.3事件」)を聞いたりして、私たちはすぐに帰ることについてますます不安になり、帰りたくとも帰れない、という状態が長く続くことになったのです。

  そうして私は、いつか故郷に帰ろうと思いながらも、日本での生活を続けるため、東九条にとどまり、闇市を横目に、くず鉄拾いの仕事を続けました。地道な仕事でしたが、戦争が終わってからしばらくすると、鉄の需要がどんどん高まり、10年ほど働き続けるうちに、遠方からの持ち込みを受け入れたり、住み込みで手伝ってくれる人も増えて、裕福な暮らしではありませんでしたが、順調に進むようになりました。その結果、気持ちとは裏腹に、私は日本での生活の基盤を固めることとなったのです。

  私たちのように、故郷に帰ることを夢見ながらも、それまでの間の生活を維持するためにがんばり、日本で子を産み、育てた同胞もたくさん出てきました。夫は仕事が順調になったころから、こうした子どもたちのために、民族教育をすることに熱心になり、学校の関係者に家を開放したり、食事の面倒を見るなどのボランティア的な活動に没頭して、生活の糧を稼ぐのは私一人の役目になりました。

  くず鉄拾いの仕事は、戦争が終わってから20年ほどの間、続けてきました。子や孫の世代のために活動している夫を支えることを生活の中心にしていきました。その後、パチンコ店経営をはじめましたが、10年ほどの間で、夫が亡くなり、3年後には息子も亡くなり、もともとうまくいってなかった経営は、結局失敗に終わってしまいました。それ以降、私は孫ともバラバラになって暮らしています。

  私は10年以上の間、私自身で年金の保険料を納付してきました。というのは、夫が生前、厚生年金の保険料をかけていたと思っていたからで、亡くなってからあと、残りの期間を代わりに納めれば、年金をもらえると思っていたからです。しかし実際のところ、夫は厚生年金に加入しておらず、私が支払った保険料は、あと2〜3年足りないというところで、全部掛け捨てになってしまいました。

  くず鉄屋を廃業して、事業も失敗し、年金も受けられない状態なので、私は現在、福祉を受けて生活しています。私自身は、これ以上のお金が欲しいと思っているのではありません。しかし、まわりにはたくさんの同胞がいます。私と同じぐらいの年齢になっても、年金を受けられないので、お風呂に行くのにも子どもからお金をもらって通っているというような人たちです。私には、こうした人たちが、どうして日本に定住して、どうしてそのような生活をせざるをえなくなっているのか、どうしても伝えないといけないという思いがあるだけなのです。この思いを伝えることが、この裁判の目的にほかなりません。どうかこの思いが届きますようにと、心の底から願っています。

[朝鮮新報 2006.6.27]


年数を満たしていなければ支給がないのは日本人も同じ。
何故、彼らだけが苦しんでいると考えるのだろう?
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