朝P、日本の食は外国人労働者のおかげ2
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/20 06:31 投稿番号: [2906 / 6487]
■カツオ漁にインドネシア人
宮崎県南郷町の目井津(めいつ)漁港を訪ねた。長野県川上村がレタス日本一なら、近海カツオ一本釣り漁では、南郷町が漁獲日本一と聞いたからだ。
カツオの水揚げ作業に立ち合った。ここでは若い日本人の不足を補うように、インドネシア人たちが働いていた。
4月7日午前2時半、5日間のカツオ漁を終えた第28一丸が戻ってきた。乗組員20人のうち6人がインドネシアからの研修生と実習生だ。
6人は交代で深さ2メートルの魚槽に足から入り、1匹3〜15キロのカツオをしゃがんでは甲板上に持ち上げる。つらい作業が釣果6トンをすべて水揚げするまで2時間以上続いた。
「キツイ仕事、私たちが交代でやる。日本人やらない。でも船の日本人、みんな先輩だから仕方ないよ」。3年目の実習生(22)はそう話す。エサとなるイワシの片付け、カツオの血の散った甲板の清掃、食事後の食器洗いが仕事だという。
毎朝日の出の15分前には起床する。カツオの群れと遭遇すると、全員が甲板に出てサオを垂らすが、1年目はエサ運びだ。釣りに加われるのは2年目からだ。
南郷町は93年、漁業分野でいち早く外国人研修生の受け入れを始めた。漁師のなり手が激減したからだ。80年に2874人いた漁師はいま4分の1に。漁師の平均年齢は55歳まで上がった。
当初の2年はフィリピンから受け入れた。しかし、失跡事件が続き、漁協も役場も懲りた。以後はインドネシアの水産高校の卒業生に絞った。みんな20歳前後で、いま町内に161人もいる。
水産高校で航海は経験ずみのはずだが、1年生は最初の2、3航海の間、きまって船酔いで七転八倒する。穏やかなインドネシアの海と違って日本近海は波が荒い。
スミントさん(21)は「ミント」、コシムさん(21)は「シム」と名乗った。来日前から日本人が呼びやすいあだ名が付いている。2人の実家は米農家で月収は1万2千円ほど。手当は1年目が月4万円。2年目が7万円、3年目が8万円だ。2人は半年ごとに10万円ほど送金する。コシムさんは「国に帰っても漁業の勉強を続けたい」と話した。農業より漁業の方が稼げるそうだ。
出港の前日、6人が共同生活する部屋を訪ねた。最新の携帯ゲーム機とポータブルDVDプレーヤーが新鮮だった。カツオ漁では1年の大半を洋上で過ごす。ゲームと映画や日本のドラマを見るのが船上での楽しみだという。
3年目の実習生のジュナエリさん(22)の呼び名はジュナだ。「日本の船のGPS(全地球測位システム)やエンジンの技術はすごい。もっとお金もほしいし、船のハイテク機器のことも吸収したい」。漁の途中、富士山は見たが、東京や大阪にも行ってみたいと話す。
いま、燃油の高騰が漁村を直撃している。1リットル30円台だった重油がここ4年で80円台に突入。カツオの北上に応じて北へ移動するカツオ船は年に重油約1千キロリットルを消費し、コストは約5千万円も上がった。なのにカツオ単価は横ばいで、漁船側にしわ寄せが来る。
ある船主によると、大半のカツオ漁船の乗組員の給与は、利益を乗組員の数で割って決まる。インドネシア人は対象となる人数には入らず、その分、日本人の収入が確保できているという。彼らがいないと、燃料費がかさむ近海カツオ漁の経営はすでに立ち行かなくなりつつある。
町職員時代、受け入れに奔走した阪元勝久南郷町長(65)は言う。「若い人がいなくなる中この制度には助けられた。雇用の問題は地方では切実。企業が来てくれないと、若い人の職はなく定住はしない。豊かな自然だけでは生きられないんですよ」
日本一のレタスとカツオの生産現場を歩き、外国人に頼らざるを得ない現実を見た。農林水産省の掲げる7年後の食料自給率45%という数字がはるか遠くに思える。就農対策を担う同省経営局の田中誠二参事官は「外国人への依存が固定化すると、外交関係の悪化などで急に人手が確保できなくなった時に生産が立ち行かなくなる」と危機感を募らせる。
国内の39歳以下の新規就農者数は年間約1万1千人。農業分野で急増する外国人研修生は06年で7496人。次代を担う就農人口で外国人に追い抜かれるのは、もう時間の問題だ。(歌野清一郎)
朝P様、
よく判りました。
日本はとてもダメな国なんですね。
宮崎県南郷町の目井津(めいつ)漁港を訪ねた。長野県川上村がレタス日本一なら、近海カツオ一本釣り漁では、南郷町が漁獲日本一と聞いたからだ。
カツオの水揚げ作業に立ち合った。ここでは若い日本人の不足を補うように、インドネシア人たちが働いていた。
4月7日午前2時半、5日間のカツオ漁を終えた第28一丸が戻ってきた。乗組員20人のうち6人がインドネシアからの研修生と実習生だ。
6人は交代で深さ2メートルの魚槽に足から入り、1匹3〜15キロのカツオをしゃがんでは甲板上に持ち上げる。つらい作業が釣果6トンをすべて水揚げするまで2時間以上続いた。
「キツイ仕事、私たちが交代でやる。日本人やらない。でも船の日本人、みんな先輩だから仕方ないよ」。3年目の実習生(22)はそう話す。エサとなるイワシの片付け、カツオの血の散った甲板の清掃、食事後の食器洗いが仕事だという。
毎朝日の出の15分前には起床する。カツオの群れと遭遇すると、全員が甲板に出てサオを垂らすが、1年目はエサ運びだ。釣りに加われるのは2年目からだ。
南郷町は93年、漁業分野でいち早く外国人研修生の受け入れを始めた。漁師のなり手が激減したからだ。80年に2874人いた漁師はいま4分の1に。漁師の平均年齢は55歳まで上がった。
当初の2年はフィリピンから受け入れた。しかし、失跡事件が続き、漁協も役場も懲りた。以後はインドネシアの水産高校の卒業生に絞った。みんな20歳前後で、いま町内に161人もいる。
水産高校で航海は経験ずみのはずだが、1年生は最初の2、3航海の間、きまって船酔いで七転八倒する。穏やかなインドネシアの海と違って日本近海は波が荒い。
スミントさん(21)は「ミント」、コシムさん(21)は「シム」と名乗った。来日前から日本人が呼びやすいあだ名が付いている。2人の実家は米農家で月収は1万2千円ほど。手当は1年目が月4万円。2年目が7万円、3年目が8万円だ。2人は半年ごとに10万円ほど送金する。コシムさんは「国に帰っても漁業の勉強を続けたい」と話した。農業より漁業の方が稼げるそうだ。
出港の前日、6人が共同生活する部屋を訪ねた。最新の携帯ゲーム機とポータブルDVDプレーヤーが新鮮だった。カツオ漁では1年の大半を洋上で過ごす。ゲームと映画や日本のドラマを見るのが船上での楽しみだという。
3年目の実習生のジュナエリさん(22)の呼び名はジュナだ。「日本の船のGPS(全地球測位システム)やエンジンの技術はすごい。もっとお金もほしいし、船のハイテク機器のことも吸収したい」。漁の途中、富士山は見たが、東京や大阪にも行ってみたいと話す。
いま、燃油の高騰が漁村を直撃している。1リットル30円台だった重油がここ4年で80円台に突入。カツオの北上に応じて北へ移動するカツオ船は年に重油約1千キロリットルを消費し、コストは約5千万円も上がった。なのにカツオ単価は横ばいで、漁船側にしわ寄せが来る。
ある船主によると、大半のカツオ漁船の乗組員の給与は、利益を乗組員の数で割って決まる。インドネシア人は対象となる人数には入らず、その分、日本人の収入が確保できているという。彼らがいないと、燃料費がかさむ近海カツオ漁の経営はすでに立ち行かなくなりつつある。
町職員時代、受け入れに奔走した阪元勝久南郷町長(65)は言う。「若い人がいなくなる中この制度には助けられた。雇用の問題は地方では切実。企業が来てくれないと、若い人の職はなく定住はしない。豊かな自然だけでは生きられないんですよ」
日本一のレタスとカツオの生産現場を歩き、外国人に頼らざるを得ない現実を見た。農林水産省の掲げる7年後の食料自給率45%という数字がはるか遠くに思える。就農対策を担う同省経営局の田中誠二参事官は「外国人への依存が固定化すると、外交関係の悪化などで急に人手が確保できなくなった時に生産が立ち行かなくなる」と危機感を募らせる。
国内の39歳以下の新規就農者数は年間約1万1千人。農業分野で急増する外国人研修生は06年で7496人。次代を担う就農人口で外国人に追い抜かれるのは、もう時間の問題だ。(歌野清一郎)
朝P様、
よく判りました。
日本はとてもダメな国なんですね。
これは メッセージ 2905 (jgeilsbandfreak さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafbfa9a4yjaacl5a_1/2906.html