朝鮮を笑う

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斜め上の雲 82

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/09 01:04 投稿番号: [1757 / 2847]
  華秉と世実は、韓国の成長発展をまのあたりにし誇らしい古代の歴史をまなぶことで、ウリ民族の優秀性を確信して自尊心を肥大させていったが、たしかにこの時期の韓国はうまくやっていたようにもおもえる。
  とくに外交がそうである。冷戦構造の崩壊に乗じて、九〇年にはソ連と国交をむすび、さらには中国との交流を拡大するなど、北方外交を活発にするようになったのである。
  だが、韓国は台湾と国交があり、中国と国交をむすべば台湾とは断交となる。訒小平の開放政策によって経済成長のいちじるしい中国は、台湾と国交のある中南米やアフリカの国々に対して、援助や借款をちらつかせ、さらには周恩来以来の伝統である札束にものを言わせたロビー工作――かつては国民党も得意としていたのだが――をおこない、中国との国交を樹立、台湾と断交させることに成功していた。

  韓国は、中国との国交をむすばないよう求める台湾政府に対して、
「中華民国との断交はありえない」
  といいきった。
  が、条件があった。
「わが国の車を購入してもらいたい」
  当時、韓国の車は国際市場できわめて不評であり在庫が累積していた。手ごろな価格感もあって一時はよく売れたのだが、故障の多さやアフターケアの粗雑さが露呈し、販売台数が極端に落ちこんだためである。
  台湾は、韓国の要求どおり韓国車五万台を購入した。

  結果からいえば、台湾はうらぎられた。
  九二年八月、韓国は中華人民共和国と電撃的に国交を樹立し、中華民国と断交したのである。つまりは、弱みにつけこんで五万台の在庫を押し売りしたあげく、簡単に約束を踏みにじったといっていい。しかも、国交樹立前夜に中華民国大使館の土地名義をひそかに中国名義に書き換えて、中国に献上したのである。
  そのちょうど二十年前、日本も中華民国、すなわち台湾と断交して中国と国交を樹立したが、このようなしうちはしていない。
  あくまでも台湾との関係を維持するべく民間での交流を継続し、大使館機能を代行する交流協会を設置した。しかも前年に中華人民共和国が国連の「中国」代表権を取得し、中華民国が国連を脱退したさいには、蒋介石中華民国総統に「中国」ではなく「台湾」という国家として国連に加盟する道をとるべきだと説得している。

  世界史における外交史をみても、一国が他の国に対する例として、このときの韓国ほどむごい嗜虐的外交というものは例がない。先進国同士では通用しない外交政略を、相手が宗主国にさからっていて、しかも窮状にある台湾ともなると、平気でとるというところに、韓国人のむごさがあるであろう。

  また、後年のことになるが、二〇〇二年におこなわれる第一四回アジア競技大会の開催地候補として釜山と高雄が決選投票となったさい、
「台湾は国家とはみとめられないので、開催の資格はない」
  といい、釜山の信任投票にするよう主張した。
  これだけのことをしておきながら、九七年のアジア通貨危機にさいしては、
「両国間の関係改善のため」
  と、臆面もなくいい、台湾に百億ドルの援助をもとめてきたのである。もちろん、台湾は一顧だにしなかったが。

  約束の履行という点において韓国――北朝鮮もそうであるが――は半万年虚言体質とでもいいたくなるほどに平然とやぶる。しかしかといってここまで容赦会釈ないやぶり方というものは、やはり相手が格下の国であるという蔑視によって倫理的良心を毛ほども感じずにすむというところがあるのではないか。
  いずれにせよ、台韓断交直前における韓国の態度は外交というにはあまりにもむごすぎるものであり、これについては錫元もみとめざるをえない。
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