朝鮮を笑う

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斜め上の雲 72

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/08/04 21:42 投稿番号: [1700 / 2847]
  全斗煥が大統領に就任したことで韓国内の動揺はおさまった。かれは経済面において朴正煕の路線を踏襲しつつ、外交では対日、対米協調路線をとった。

  実質十八年半にもおよんだ朴政権は、さまざまなものをのこした。「漢江の奇跡」とよばれた経済発展が代表的であろう。
  韓国人は、大げさにいえば飲まず食わずではたらき続けた。
  この経済発展そのものが奇蹟であるが、それをなし遂げた国民のほうがむしろ奇蹟であった。
  ひとつは、韓国人は貧困になれていた。この当時、家庭には都会地の一部をのぞいては冷蔵庫もなく食物の保存がきかなかった。しぜん食生活もゆたかなものではなかった。そのせいか、キムチだけは質量ともにふんだんにつくられ食膳に供された。
  その上、日本の教育によってつちかわれた律儀さがまだつづいており、ひとびとは自分の欲望の主張を――後世に比べればのことであるが――かなりひかえめにすることを美徳としており、自我だけの欲望の肯定というような思想は、わずかに旧両班の一部が保持している程度である。
  他にもいろいろ要素があるが、韓国人を勤勉努力の国民のようにしてしまったという点で、これほどめずらしい歴史時代はなかった。

  一つの時代がすぎ去るというのは、その時代を構築していた諸条件が消えるということであろう。消えてしまえば、過ぎさった時代への理解というのは、後の世の者にとっては同時代の特アに対する理解よりもむずかしい。
  たとえば豊かとはいえない食生活において、キムチだけはふんだんにあったことは先にもふれた。韓国人はそのキムチだけを糧(かて)としてエネルギーを補給し、勤勉さを持続した。
  この当時の韓国人が、どれほどキムチにたよっていたかは、この当時にもどって生きねばわからないところがある。キムチはただの食品ではなく、すでに勤労苦闘の象徴にまでなっていた。
  しかし、経済はそれだけでは発展しない。たねとなる資金が必要であった。
  そのため、ベトナム派兵や西ドイツ、中東への労働者派遣、ついには妓生(キーセン)観光によって外貨をかせごうとしたことはひろく知られているが、その多くが日本からの経済援助、融資によっていたことは、のちの世においてもじゅうぶん理解されているとはいいがたい。

  朴政権の産業振興政策は、軍人らしく徹底した戦力集中であった。三星や現代など競争力の強い大企業に重点をおいて育成することで国家競争力の成長をもくろんだ。そのため、いくつかの巨大財閥と脆弱な中小企業という二極構造をまねき、のちに韓国経済の弱点となったということは否定できない。
  朴は金銭には淡白であり、朝鮮人としてはきわめてめずらしいことに一族を重用しなかったため、縁故主義(ネポティズム)の弊をまぬかれたが、全ら後継者たちは財閥と癒着し、さかんに私腹を肥やした。
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