朝鮮を笑う

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斜め上の雲 71

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/08/04 10:19 投稿番号: [1698 / 2847]
  全斗煥の大統領就任直後に帰国した錫元は、自主国防の不可を説いた報告書を提出すると、偕行社の総会にまねかれた金錫源に同行して日本にむかった。
  偕行社は、明治十年に創立された日本陸軍将校の親睦団体であり、大東亜戦争後いったん解散したが、昭和二十七年にふたたび設立された。
「将軍、日本はお久しぶりですか」
  金錫源は朝鮮戦争休戦直後に退役し、ながく中学校の校長をつとめていた。
「そうだな。今回の総会はわれわれだけでなく韓国人将校も多いそうだ。崔君も来るらしい」
  崔君とは、朝鮮戦争時金錫源のひきいた第三師団の参謀長をつとめた崔慶禄である。士官学校長、参謀総長を歴任して退役後は政治家に転じ、この時期はちょうど駐日大使に就任したばかりであった。

  会場についた二人を出迎えたのは崔であった。
「閣下がご壮健であることはうれしいかぎりです」
「佐官も尉官もいいやつが多かったなぁ」
  金錫源は往時をふり返るようにいった。崔はこたえる。
「はい。私は幸運にもよい上官たちに恵まれました」
「たしか、井原潤次郎君だったな」
  井原は陸士二十八期卒であり、金錫源の一年後輩にあたる。
「はい。井原少将は朝鮮軍司令部の最後の参謀長でして、視野も広く日韓関係を深く理解しておられました。私もこういう指揮官になりたいとあこがれていました。小野武雄大佐も恩人の一人です」
  小野ははやくから崔の才能を認めており、じつの親子のように接していた。かれは、
「君のような人間は朝鮮のためにも絶対に死んではならぬ。前線にはゆくな」
  と厳命し、ニューギニアの前線で崔をみつけたときに、再会をよろこぶより、
「なぜ、言いつけをまもらなかった」
  と激怒した人間である。やがて崔が斬りこみ突撃によって重傷をおい、生きのこった出田上等兵がその生命と引きかえに後送してくると、かれはじぶんの着ていた参謀肩章つきの上着を崔にきせ、はるか後方のマニラの病院におくらせた。その後、戦線が崩壊し参謀長であった小野大佐は戦死した。文字どおり一命を賭して崔の未来をまもりきったといっていい。

  やがて、総会がはじまった。金錫源は挨拶のなかで、
「わたしの長男は戦争に参加して戦死した。それは軍人として本望である。本人も満足しているであろう」
  といった。
  かれの長男である金泳秀大尉は陸士五十七期卒であり、昭和二○年フィリピン戦線で戦死し、靖国神社にまつられている。

  余談ではあるが、このほかにも日本軍人として靖国神社にまつられている他国籍者――現在からみればの話だが――は数多い。そのなかで朝鮮人将兵は二万一千名を数えるという。著名な洪思翊中将だけでなく、特攻隊として散華した学徒兵、B29を搭乗機ごと体当たりして撃墜した飛行兵たちもまつられている。
  また、二万七千人の台湾人もまつられている。そのなかのひとりである岩里武則という日本名をもった海軍機関兵は、金泳秀とおなじく昭和二〇年フィリピンで戦死している。かれの台湾名は李登欽といい、その弟岩里政男は李登輝という。
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