朝鮮を笑う

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斜め上の雲 20

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/04/10 20:21 投稿番号: [1350 / 2847]
  遮蔽物のない海岸で、米軍艦艇と韓国軍第3師団の集中砲火をあびた北朝鮮軍第5師団は潰乱し、すすんできた道をぎゃくにたどって逃げだした。
  ところが、北西へ逃げる北朝鮮軍の左右にはかならず伏兵があらわれ、その後背から猛射をあびせたのである。
「草木皆ナ兵ト化ス」
  ということばがあるが、まさにそのとおりであった。
  金錫源は小きざみに退却を繰りかえしつつ、麾下の諸部隊を逃亡したとみせかけて切りはなし、予想される退路の両脇にうずめておいたのである。つまり一種の縦深陣地を形成して敵を引きずりこんだといっていい。
  このため恐慌状態におちいった北朝鮮軍は、軍隊組織として統制のとれた行動をすることが不可能となった。
「元よ。今度こそほんとうに撤退だ」
  そういってわずかに笑った金錫源は、全軍を海岸に集結させ揚陸艦への収容を命じた。
  金自身は、みずから一隊をひきいてしんがりをつとめ、師団の将兵が全員収容されるまでふねに乗りこもうとはしなかった。
(これが作戦というものなのか)
  その巧緻さは、あれほど撤退をいやがって再三命令をこばみ、ついにはキムチ壷の底を踏みやぶった将軍が考案したものとはおもえなかった。
  そのくせ、金錫源は揚陸艦のなかでも、軍刀を手ばなさず仏頂面をしている。気をつかって話しかけてくる崔参謀長にも無愛想なままであるところをみると、よほど撤退というものがいやで仕方がなかったのであろう。
  錫元が戦術というものに興味を持ったのは、このときのことである。

  北朝鮮軍は予想外の損害をうけ、いったん盈徳を放棄して西北にさがり、休息と再編を余儀なくされた。
  そのため、浦項とその西に位置する杞渓でたたかっている友軍との連携がとれなくなり、それぞれの部隊の攻勢は大はばに遅滞することとなった。
  金錫源の苦心はむくわれたといっていい。

  優勢にあった北朝鮮軍の連携がとれなくなったことで、浦項の奪回、再占領などの一進一退はあるものの、東部戦線はいちおうの落ち着きをみせた。
  金錫源が盈徳からの撤退に成功したのが8月16日の夜から17日の朝にかけてであり、仁川上陸がおこなわれたのは9月15日である。
  しかし、倭館・多富洞といった中部戦線のところどころでは、むしろ韓米軍はおされぎみであった。戦線崩壊の危機をもはらんでいたといっていい。
  この1ヶ月のあいだが、韓米軍にとってもっとも苦しいときであっただろう。
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