議論の始まり
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/06/12 22:55 投稿番号: [9819 / 18519]
そもそも議論の始まりは「斎藤豊仙及び幕府の認識は鬱稜島渡航を海外と見なしていたか否か」という点にあるのはお互いに異論がないと思います。
そして貴兄は、No.9347(http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9347)において、
「私の論点は、斉藤豊仙が『隠州視聴合記』で「村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す」と記録したのは、村川家の大船を「朱印船」のごとく考えたためではないだろうかという点にあります。」と述べて、
さらに「これ(渡海免許)は朱印状ではなく奉書です。この違いは重要とみえて、鳥取藩が竹島渡海事業に関して幕府に提出した答弁書では、わざわざ渡海が御朱印ではなく御奉書であることを強調しました。」として、朱印ではなく奉書であることが海外渡航である理由にしています。
続いて、これを補強する論として内藤正中氏の指摘を引用して、奉書のみで朱印状が出ていないのは鬱稜島が海外であるという認識を斎藤豊仙が持っていた理由に挙げています。
これに対し、私は内藤氏の当時の貿易制度、外交制度の無知を指摘して、その誤りを指摘しました。(内藤氏は極左思考の持ち主と拝察しますので、意図的に歪曲した可能性もあると思います。)
私の説明で朱印状でなく奉書が発出されたことでは海外という認識だったとは言えず、むしろ国内と見ていた可能性が強いことを指摘しております。
つまり、貴兄や内藤氏の「幕府が鬱稜島を海外と見なしていた」という主張は、
①朱印状が出ておらず、鳥取藩主宛の奉書のみで渡航が認められていた。②海外へ渡航するための奉書は当時の常識では渡航者本人に渡されるものだが、これは異例の措置だった。③朝鮮への渡航は釜山が公認ルートにもかかわらず、公式の海外渡航の扱いではなかったためにこのような措置になったのだ。④よって鬱稜島への渡航は海外渡航であった。
というものであると理解しましたが、これに対して私は、
①鳥取藩主宛の奉書のみで渡航が認められたのであれば、開発許可であったと言えることを説明し、
②藩主宛の開発許可であれば、枚挙に暇がないほど例がある。(杉の伐採等の例)さらに奉書での渡航は奉書に基づき行動した船は官船、民船ともに枚挙に暇がない点を挙げ、幕府が鬱稜島への渡航を国内渡航と見ていたと言える証拠ともなる点を指摘し、
③当時の対外外交ルート(対朝鮮外交は対馬藩が担当し、奉書船制度の枠外)と対外情勢(対朝鮮関係修復を目指していた)を説明の上、幕府も斎藤豊仙も鬱稜島を国外と見なしていないことを制度面から説明し、
④「鬱稜島=海外」ありきのあまりに我田引水が過ぎる論になっている。
と批判したわけです。
隠州視聴合記における「此州」が隠岐島を指すものではないことは説明済みですし、他の方からも意見が出されているので、貴兄の指摘は成り立っておりません。もう一度、過去ログをご確認ください。
なお、内藤氏については左翼系月刊論壇誌「世界」6月号においても当時の政治制度を無視した妄言や、これも以前に在日の方の妄言を斬り捨てたのですが、藩名について揚げ足取りにすらならない意味不明な妄説を展開しており、全体としてあまりに我田引水、牽強付会に満ちあふれすぎており、正直に申しまして失笑すら禁じ得ませんでした。もっとも日本経済史がご専門ということで国際法と政治史は専門外のようですから、無知であったとしても過度に責めることはできません。
「正論」、「諸君」らの保守系論壇誌が一気に10万部を突破する勢いの中で「世界」、「論座」などの左翼系論壇誌が発行部数2万部を割り込みそうなのを見ると妄言に耳を傾ける人も少なくなったのかなという感想です。これは蛇足でしたね。失礼しました。
そして貴兄は、No.9347(http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9347)において、
「私の論点は、斉藤豊仙が『隠州視聴合記』で「村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す」と記録したのは、村川家の大船を「朱印船」のごとく考えたためではないだろうかという点にあります。」と述べて、
さらに「これ(渡海免許)は朱印状ではなく奉書です。この違いは重要とみえて、鳥取藩が竹島渡海事業に関して幕府に提出した答弁書では、わざわざ渡海が御朱印ではなく御奉書であることを強調しました。」として、朱印ではなく奉書であることが海外渡航である理由にしています。
続いて、これを補強する論として内藤正中氏の指摘を引用して、奉書のみで朱印状が出ていないのは鬱稜島が海外であるという認識を斎藤豊仙が持っていた理由に挙げています。
これに対し、私は内藤氏の当時の貿易制度、外交制度の無知を指摘して、その誤りを指摘しました。(内藤氏は極左思考の持ち主と拝察しますので、意図的に歪曲した可能性もあると思います。)
私の説明で朱印状でなく奉書が発出されたことでは海外という認識だったとは言えず、むしろ国内と見ていた可能性が強いことを指摘しております。
つまり、貴兄や内藤氏の「幕府が鬱稜島を海外と見なしていた」という主張は、
①朱印状が出ておらず、鳥取藩主宛の奉書のみで渡航が認められていた。②海外へ渡航するための奉書は当時の常識では渡航者本人に渡されるものだが、これは異例の措置だった。③朝鮮への渡航は釜山が公認ルートにもかかわらず、公式の海外渡航の扱いではなかったためにこのような措置になったのだ。④よって鬱稜島への渡航は海外渡航であった。
というものであると理解しましたが、これに対して私は、
①鳥取藩主宛の奉書のみで渡航が認められたのであれば、開発許可であったと言えることを説明し、
②藩主宛の開発許可であれば、枚挙に暇がないほど例がある。(杉の伐採等の例)さらに奉書での渡航は奉書に基づき行動した船は官船、民船ともに枚挙に暇がない点を挙げ、幕府が鬱稜島への渡航を国内渡航と見ていたと言える証拠ともなる点を指摘し、
③当時の対外外交ルート(対朝鮮外交は対馬藩が担当し、奉書船制度の枠外)と対外情勢(対朝鮮関係修復を目指していた)を説明の上、幕府も斎藤豊仙も鬱稜島を国外と見なしていないことを制度面から説明し、
④「鬱稜島=海外」ありきのあまりに我田引水が過ぎる論になっている。
と批判したわけです。
隠州視聴合記における「此州」が隠岐島を指すものではないことは説明済みですし、他の方からも意見が出されているので、貴兄の指摘は成り立っておりません。もう一度、過去ログをご確認ください。
なお、内藤氏については左翼系月刊論壇誌「世界」6月号においても当時の政治制度を無視した妄言や、これも以前に在日の方の妄言を斬り捨てたのですが、藩名について揚げ足取りにすらならない意味不明な妄説を展開しており、全体としてあまりに我田引水、牽強付会に満ちあふれすぎており、正直に申しまして失笑すら禁じ得ませんでした。もっとも日本経済史がご専門ということで国際法と政治史は専門外のようですから、無知であったとしても過度に責めることはできません。
「正論」、「諸君」らの保守系論壇誌が一気に10万部を突破する勢いの中で「世界」、「論座」などの左翼系論壇誌が発行部数2万部を割り込みそうなのを見ると妄言に耳を傾ける人も少なくなったのかなという感想です。これは蛇足でしたね。失礼しました。
これは メッセージ 9818 (VIVA_VIVA_21 さん)への返信です.
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