石島を考える
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/07 08:43 投稿番号: [9778 / 18519]
>鬱陵島への渡海が禁止されたにも拘わらず、鬱陵島へ渡る日本人はあとを絶たず、日朝の雑居問題が深刻になってきた。
1900年(明治33年)4月、大韓帝国政府は、禹用鼎らを鬱陵島に派遣し現地調査をさせている。
6月に提出した報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には触れられてはいない。
1900年(明治33年)10月25日、この禹用鼎らの報告を受けて、
大韓帝国は勅令41号
「鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正するの件」を発布した。
沖の:
報告書では、調査の対象は鬱陵島本島に限られ、現在の竹島には触れられてはいない。つまり、松島の存在を知らなかったか、あるいは、松島を調査対象から外した二つの可能性がある。鬱陵島本島のみの調査にしぼったにしても、目と鼻の先にある観音島、竹嶋は調査対象だった事は当然予測できる。国家の責任として、勅令発布する為には、十分な調査と確認を必要とするが、此の事は論をまたない、十分な調査をしたらこそ、自信をもって公布発表したのだ、それは鬱陵島本島であり、石島
竹嶋であり、決して調査眼中に無い対象外の松島であろうはずが無い、調査確認もしなかった松島をのせる事はできないし、そんな無責任な事は国家として出来なかったのです。だからこそ石島は観音島であると主張出来るのですよ。
これは メッセージ 9768 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9778.html