竹島

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隠州視聴合紀「州」の用法と解釈 (3/7)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/30 05:44 投稿番号: [9650 / 18519]
【3】「州」の用法

まず、問題となっている国代記・地理を除き、それ以外の部分で「州」がどのような意味で使われているかを調べました。その結果、以下のどちらかの意味で使われおり、島の意味で使われている個所はありませんでした。

a.「隠州」「雲州」のように国を表す固有名詞の一部 … 57例
  (内訳:序 2/国代記[地理を除く] 31/周吉郡 8/隠地郡 2/知夫郡 2/知夫郡焼火山縁起 10/文覚論 2)

b.行政区画としての国を表す一般名詞 … 5例
  ・隣州之盟主(国代記・歴史2)
  ・假元就威以至此州(国代記・歴史4)
  ・一州人以五郎君之年少晨夕遊宴(国代記・歴史5)
  ・又此州之老或(周吉郡・上西里)
  ・好事者此州に雉の無事を愁て(周吉郡・蛸木浦)

bの用法の検討は重要であり、数も少ないので以下に一つ一つ見ていくことにします。

【3.1】隣州之盟主(国代記・歴史2)

まず巻一・国代記・歴史2にある記述です。

戦国時代に入り、隠岐でも一族兄弟間の争いが起こって国が乱れたことを述べた後、以下のように書かれます。

−−−−−−−−−−−−
雲州刺史尼子伊豫守者佐々木之棟梁隣州之盟主也
聞隱州之物怱

[訓読]
雲州の刺史、尼子伊豫守は佐々木の棟梁にして隣州の盟主なり。
隱州の物怱なるを聞きて

[訳]
雲州の刺史である尼子伊予の守は、佐々木氏の棟梁であり、また近隣の州の盟主でもある。隠州が騒然としていることを聞いて…
−−−−−−−−−−−−

これは尼子の影響下にある近隣の国々のことを隣州と書いていると思って間違いないでしょう。つまり「州」は行政区画としての国の意味です。

ちなみに隠岐を支配していたのも佐々木氏の流れの一族です。


【3.2】假元就威以至此州(国代記・歴史4)

次に巻一・国代記・歴史4の記述です。

隠州の領主、為清が出雲で戦死した後、いまだ12歳の嫡子五郎に代わり、為清の弟、清家が領主となります。清家は毛利に対抗することの不可能を悟って降伏し、子の才又郎を人質として差し出しました。そして、毛利から安堵される形で隠州の支配を続けます。しかし、毛利からの戦費の要求が激しいこともあり税の取立ては苛酷で、家来の間に不満が高まってきます。そこに以下の記述が出てきます。

−−−−−−−−−−−−
於是爲芿之舊臣寺本和泉寺本中務(中略)等潜偶語而曰
芿家雖令弟本比肩之家人五郎君雖幼弱佐々木之根本也
而以才又郎假元就威以至此州
則吾儕皆渠之馬卒也

[訓読]
ここにおいて爲芿の舊臣、寺本和泉、寺本中務(中略)ら、潜かに偶ひ、語りて曰く、
芿家は令弟と雖も、本、比肩の家人、五郎君は幼弱と雖も佐々木の根本なり。
しかして才又郎を以って元就の威を假り、以って此州に至る。
則ち吾がともがら、皆かれの馬卒なり。

[訳]
そこで為清の旧臣である寺本和泉、寺本中務(中略)達が密かに集まり、次のように話した。清家は弟君とはいえ、元は我らと同じ家来にすぎない。五郎君は幼いとはいえ、佐々木氏の血筋の本流である。清家は才又郎を質に送って毛利元就の威令を借り、この州に支配を行き渡らせている。我らの仲間は皆、かれの馬卒にされてしまった。
−−−−−−−−−−−−

実は正直に言って「至此州」の「至」の解釈に、自信がありません。清家は元から隠岐に居る訳ですから、「到着した」という意味に取るのは不自然で、ひとまず「支配を行き渡らせている」と訳しました。諸賢のご批判を仰ぎたいと思います。

いずれにしろ、この「此州」は、寺本和泉らのいる地域のことですから、隠州を指すと考えて間違いありません。清家の支配について話しているのですから自然の地形としての「隠岐島」ではなく、行政区域としての「隠岐国」の意味で使われています。なお、上の文は家来の語る言葉として書かれているので、地の文として書かれている国代記・地理の解釈に適用するには注意が必要でしょう。

(続く)
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