隠州視聴合紀「州」の用法と解釈 (2/7)
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/30 05:43 投稿番号: [9649 / 18519]
さて、私がこの問題で常々気にしていたのは「此州」という言葉にどこまでこだわるべきかです。
普通の感覚では「此州」は、それ以前に出てきた○○州という言葉を指すと考えるのが自然です。国代記の「此州」は隠州でないと主張される方も、一般論としてのこの意見には反対しないと信じます。
しかし、当時日本が朝鮮との往来を対馬経由に限定していたこと、そして隠州視聴合紀は磯竹島への渡航に触れた記述があることを考えると、隠州を日本の西北国境と言い切ることにも抵抗を感じます。
この対立する要素を踏まえてどう結論を出せばいいか考えると、「此州」という表現の持つ重みをどうとらえるか、つまり「『此州』と書いてある以上は州のことだ」と重く考えなければいけないか、それとも「『此州』が州を指していなくても別に構わない」と軽く考えて良いのか、というバランス感覚の問題になってきて、どうしても主観的な結論になりがちです。
そこで私は、隠州視聴合紀の上記引用部を除いた他の個所で「州」がどのように使われているか、また、島を指す場合にどのような言葉を使っているかを調べ、この問題にもう少し客観的な判断基準が得られないか考えてみることにしました。
以降の内容は次の通りです。
2章では調査に使用したテクスト、および隠州視聴合紀の章立てについて説明します。
3章では「州」の用法について具体的にテクストを引用しながら説明します。
4章では島を指す場合に使う言葉についての調査結果を示します。
5章では、調査結果を踏まえて「此州」の各解釈についての疑問点を提示します。
6章では、今の時点で結論できることをまとめます。
【2】テクスト
テクストとしては、以下に収録されているものを使いました。
続々類書群従 第九
編纂 国書刊行会
発行 株式会社続群書類従完成会
(昭和44年11月29日発行)
(昭和59年10月20日第4刷発行)
これを選んだのは、最寄の公共図書館で閲覧可能だったということが理由の全てであり、学術的なテクスト批判は一切行なっていないことを申し上げておきます。
なお、著者名ですが、上の本には記載がなく、「三百藩家臣人名事典」(新人物往来社)によると、斎藤勘介、名は豊宣となっています。しかし、下條正男氏や池内敏氏など研究者による文章には斎藤豊仙と書かれているので、ここでもそれにならいます。詳細をご存知の方は教えてくださると幸いです。
次に、引用個所を示す便宜のためテクストの章立てを示しておきます。
−−−−−−−−−−−−
◇序
◇巻一
国代記
◇巻二
周吉郡(しきちぐん)
(西郷 津居村 犬来村 竈村 大久里 卯敷村 布施村 飯田村 東郷 飯尾湊 元谷村 中村庄
湊村 西村 原田里 上西里 平村 国分寺 尼寺 大光寺村 有木村 護国寺 下西村 西田村
今津湊 岸浜 箕浦 鴨里 蛸木浦)
◇巻三
隠地郡(をちぐん)
(津戸 都万県 那隅村 油井村 南方村 苗代田村 那隅路村 都万路村 小路里 那里
山田村 一宮村 北方村 代村 酌村 伊後村)
島後の人口
◇巻四
知夫郡(ちふりぐん)
(知夫郡同別府 美田郷 浦郷 知夫湊)
海部郡(あまぐん)
(崎村 布施村 台浦 知々井浦 森郷 福居村 宇津賀村 豊田湊)
島前の人口
神名帳
国中仏寺
名所和歌
知夫郡焼火山縁起
文覚論
−−−−−−−−−−−−
巻一の国代記は長いので、便宜的に更に以下のように分けることにします。
- 地理(隠州在北海〜以此州為限矣)
- 産物(民部図帳曰〜堀尾氏之所定也)
- 歴史1[鎌倉室町](古老伝曰〜従是京極経世佐々木繁栄)
- 歴史2[清政](過元亨健武之世〜於是隠州又為一)
- 歴史3[為清](其孫判官為清〜不知何是矣)
- 歴史4[清家から五郎へ](初為清有子〜莫曽違於心者)
- 歴史5[五郎から才又郎へ](才又郎在芸州〜元就大喜焉)
- 歴史6[才又郎逃亡後](五郎君卒才又郎逃亡〜帰万々世)
ちなみに前章で引用した個所は国代記・地理に相当します。
テクストを引用する際は、読み易さのために適宜引用者の判断で改行を入れました。旧字体については、できる限りテクスト通りにしましたが、一部、文字が見つからなくて新字体で書いたものもあります。漢文の返り点は省略しましたが、訓読はテクストの返り点を踏まえたものです。
(続く)
普通の感覚では「此州」は、それ以前に出てきた○○州という言葉を指すと考えるのが自然です。国代記の「此州」は隠州でないと主張される方も、一般論としてのこの意見には反対しないと信じます。
しかし、当時日本が朝鮮との往来を対馬経由に限定していたこと、そして隠州視聴合紀は磯竹島への渡航に触れた記述があることを考えると、隠州を日本の西北国境と言い切ることにも抵抗を感じます。
この対立する要素を踏まえてどう結論を出せばいいか考えると、「此州」という表現の持つ重みをどうとらえるか、つまり「『此州』と書いてある以上は州のことだ」と重く考えなければいけないか、それとも「『此州』が州を指していなくても別に構わない」と軽く考えて良いのか、というバランス感覚の問題になってきて、どうしても主観的な結論になりがちです。
そこで私は、隠州視聴合紀の上記引用部を除いた他の個所で「州」がどのように使われているか、また、島を指す場合にどのような言葉を使っているかを調べ、この問題にもう少し客観的な判断基準が得られないか考えてみることにしました。
以降の内容は次の通りです。
2章では調査に使用したテクスト、および隠州視聴合紀の章立てについて説明します。
3章では「州」の用法について具体的にテクストを引用しながら説明します。
4章では島を指す場合に使う言葉についての調査結果を示します。
5章では、調査結果を踏まえて「此州」の各解釈についての疑問点を提示します。
6章では、今の時点で結論できることをまとめます。
【2】テクスト
テクストとしては、以下に収録されているものを使いました。
続々類書群従 第九
編纂 国書刊行会
発行 株式会社続群書類従完成会
(昭和44年11月29日発行)
(昭和59年10月20日第4刷発行)
これを選んだのは、最寄の公共図書館で閲覧可能だったということが理由の全てであり、学術的なテクスト批判は一切行なっていないことを申し上げておきます。
なお、著者名ですが、上の本には記載がなく、「三百藩家臣人名事典」(新人物往来社)によると、斎藤勘介、名は豊宣となっています。しかし、下條正男氏や池内敏氏など研究者による文章には斎藤豊仙と書かれているので、ここでもそれにならいます。詳細をご存知の方は教えてくださると幸いです。
次に、引用個所を示す便宜のためテクストの章立てを示しておきます。
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◇序
◇巻一
国代記
◇巻二
周吉郡(しきちぐん)
(西郷 津居村 犬来村 竈村 大久里 卯敷村 布施村 飯田村 東郷 飯尾湊 元谷村 中村庄
湊村 西村 原田里 上西里 平村 国分寺 尼寺 大光寺村 有木村 護国寺 下西村 西田村
今津湊 岸浜 箕浦 鴨里 蛸木浦)
◇巻三
隠地郡(をちぐん)
(津戸 都万県 那隅村 油井村 南方村 苗代田村 那隅路村 都万路村 小路里 那里
山田村 一宮村 北方村 代村 酌村 伊後村)
島後の人口
◇巻四
知夫郡(ちふりぐん)
(知夫郡同別府 美田郷 浦郷 知夫湊)
海部郡(あまぐん)
(崎村 布施村 台浦 知々井浦 森郷 福居村 宇津賀村 豊田湊)
島前の人口
神名帳
国中仏寺
名所和歌
知夫郡焼火山縁起
文覚論
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巻一の国代記は長いので、便宜的に更に以下のように分けることにします。
- 地理(隠州在北海〜以此州為限矣)
- 産物(民部図帳曰〜堀尾氏之所定也)
- 歴史1[鎌倉室町](古老伝曰〜従是京極経世佐々木繁栄)
- 歴史2[清政](過元亨健武之世〜於是隠州又為一)
- 歴史3[為清](其孫判官為清〜不知何是矣)
- 歴史4[清家から五郎へ](初為清有子〜莫曽違於心者)
- 歴史5[五郎から才又郎へ](才又郎在芸州〜元就大喜焉)
- 歴史6[才又郎逃亡後](五郎君卒才又郎逃亡〜帰万々世)
ちなみに前章で引用した個所は国代記・地理に相当します。
テクストを引用する際は、読み易さのために適宜引用者の判断で改行を入れました。旧字体については、できる限りテクスト通りにしましたが、一部、文字が見つからなくて新字体で書いたものもあります。漢文の返り点は省略しましたが、訓読はテクストの返り点を踏まえたものです。
(続く)
これは メッセージ 9648 (te2222000 さん)への返信です.
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