誤解ではないですね(1)
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/05/22 22:56 投稿番号: [9496 / 18519]
>これは私の書き込みに対するコメントのようですが、これは相当な誤解ではないでしょうか。
私のコメントのスタート地点は貴兄の言う「朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします」(No.9290:http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9290)というコメントです。
同文章を読む限り、貴兄は
「幕府から外国へ渡航することを江戸幕府から許された船」しか渡航できないという当時の我が国の海外渡航制度を根拠に鬱稜島について、「磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していた」という論調を展開し、海外という認識を著者が持っていたと主張されています。
よって、この誤りを正すために朱印船制度につき論じました。それにより貴兄のNo.9290における【理由1】は論拠を失っております。
>私の論点は、斉藤豊仙が『隠州視聴合記』で「村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す」と記録したのは、村川家の大船を「朱印船」のごとく考えたためではないだろうかという点にあります。
とはNo.9290を見る限り読めません。むしろ朱印制度の一部をなしているが如く読めます。
まあ、それは文章能力の問題であり、本質からずれた問題ですからいいとして、今度は「竹島(鬱陵島)への渡海船が、朱印船貿易制度の朱印船だったかどうかを問題にしているのではありません。」とした上で奉書船制度を鬱稜島、竹島を海外と見ていた根拠にしておられるようですが、これについてはまったく賛同できません。
まず奉書船制度は朱印船制度の後継制度とも言えるもので、鎖国政策を強化する中で生まれたものです。朱印船制度自体は家康が制度化したものである関係で朱印状は家康が発出したものも多く、「神君」とまで呼ばれ歴代将軍に崇拝される家康の朱印状は後世の将軍でもなかなか取り消せなかったのは前述のとおりです。伊賀の藤堂家などは家康に徳川政権が続く限りの家康治世の領地を恒久的に安堵する旨の朱印をもらっていたために、後世の将軍も転封、減封ができませんでした。失政などがあっても、幕府と手切れにならない限りは何もできずに結局、明治維新まで領地保全ができたほどです。それほど神君家康公の朱印を取り消すのは難しいというより不可能といってよかったわけです。しかし、貿易を制限する必要に迫られた幕府上層部は一計を案じ、朱印状に加え、老中連署による奉書を同時携行することを貿易許可の条件にしたわけです。
このような理由で奉書船とは朱印状に加えて、老中の奉書を携行しているということになり、内藤氏の言うような朱印状を所持しない奉書船というのは制度上存在する余地はありません。奉書のみを所持している船は外国へ行くことを前提にした奉書船制度の範疇にある奉書船ではないのです。
(続く)
私のコメントのスタート地点は貴兄の言う「朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします」(No.9290:http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9290)というコメントです。
同文章を読む限り、貴兄は
「幕府から外国へ渡航することを江戸幕府から許された船」しか渡航できないという当時の我が国の海外渡航制度を根拠に鬱稜島について、「磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していた」という論調を展開し、海外という認識を著者が持っていたと主張されています。
よって、この誤りを正すために朱印船制度につき論じました。それにより貴兄のNo.9290における【理由1】は論拠を失っております。
>私の論点は、斉藤豊仙が『隠州視聴合記』で「村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す」と記録したのは、村川家の大船を「朱印船」のごとく考えたためではないだろうかという点にあります。
とはNo.9290を見る限り読めません。むしろ朱印制度の一部をなしているが如く読めます。
まあ、それは文章能力の問題であり、本質からずれた問題ですからいいとして、今度は「竹島(鬱陵島)への渡海船が、朱印船貿易制度の朱印船だったかどうかを問題にしているのではありません。」とした上で奉書船制度を鬱稜島、竹島を海外と見ていた根拠にしておられるようですが、これについてはまったく賛同できません。
まず奉書船制度は朱印船制度の後継制度とも言えるもので、鎖国政策を強化する中で生まれたものです。朱印船制度自体は家康が制度化したものである関係で朱印状は家康が発出したものも多く、「神君」とまで呼ばれ歴代将軍に崇拝される家康の朱印状は後世の将軍でもなかなか取り消せなかったのは前述のとおりです。伊賀の藤堂家などは家康に徳川政権が続く限りの家康治世の領地を恒久的に安堵する旨の朱印をもらっていたために、後世の将軍も転封、減封ができませんでした。失政などがあっても、幕府と手切れにならない限りは何もできずに結局、明治維新まで領地保全ができたほどです。それほど神君家康公の朱印を取り消すのは難しいというより不可能といってよかったわけです。しかし、貿易を制限する必要に迫られた幕府上層部は一計を案じ、朱印状に加え、老中連署による奉書を同時携行することを貿易許可の条件にしたわけです。
このような理由で奉書船とは朱印状に加えて、老中の奉書を携行しているということになり、内藤氏の言うような朱印状を所持しない奉書船というのは制度上存在する余地はありません。奉書のみを所持している船は外国へ行くことを前提にした奉書船制度の範疇にある奉書船ではないのです。
(続く)
これは メッセージ 9347 (hangetsujoh さん)への返信です.
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