『隠州視聴合記』と『大日本史』1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/05/05 17:33 投稿番号: [9290 / 18519]
te2222000さん、はじめまして。半月城です。
日韓の政府間で『隠州視聴合記』の解釈が対立しているだけに、その原典に直接あたり、実証的に研究を深めるのは意義深いことです。
特に同書(1667)は地方政府の公文書という性格を有するだけに、もし同書において竹島=独島が日本領であるという記述が明確であれば、これは日本政府にとって「固有領土」の有力な根拠になります。そのため、かつての日本政府も同書を全面にだしていました(注1)。
逆に同書において、松島(竹島=独島)が異国の地であると判明すれば、これは日本政府にとって打撃になります。同書は両刃(もろは)の剣といえます。
ところがどうしたことか、最近の外務省のホームページにはもっとも「有力」な根拠であるはずの『隠州視聴合記』の記述がまったくありません(注2)。ふしぎです。外務省は同書をもはや無益と判断したのでしょうか。
さらに「竹島日本領派」の学者である塚本孝氏の「竹島=独島領有権問題」レビューには『隠州視聴合記』の記述がないばかりか、はては外務省のブレーンであった川上健三氏の著書は『隠州視聴合記』を日本領の根拠として扱いませんでした(注3)。なにやら『隠州視聴合記』は日本にとって不利な材料ではないかと推測されます。
その理由はふたつ考えられます。
【理由1】
私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注4)」と書かれました。
これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします。
そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります。
【理由2】
「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・
およそ4島、分けて島前、島後という(隠州視聴合記、隠岐国図、属島は179で、総称して隠岐小島という)。
別に松島、竹島があり、これに属する(隠岐古記、隠岐紀行、案ずるに隠地郡の福浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である。韓人は竹島を称して鬱陵島という。すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした。智者を待つが知れない。ついては、以て考えに備える)。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/dainihonshi.jpg
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。しかも、それらの史料においてなぜ松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと率直に記しました。
これは、大谷家や村川家による竹島(鬱陵島)渡海事業、すなわち竹島(鬱陵島)侵略の実績が長年つみかさねられた結果、隠岐国の人々が両島をおのずと隠岐国所属と考えるようになったことを反映したと思われます。
(つづく)
日韓の政府間で『隠州視聴合記』の解釈が対立しているだけに、その原典に直接あたり、実証的に研究を深めるのは意義深いことです。
特に同書(1667)は地方政府の公文書という性格を有するだけに、もし同書において竹島=独島が日本領であるという記述が明確であれば、これは日本政府にとって「固有領土」の有力な根拠になります。そのため、かつての日本政府も同書を全面にだしていました(注1)。
逆に同書において、松島(竹島=独島)が異国の地であると判明すれば、これは日本政府にとって打撃になります。同書は両刃(もろは)の剣といえます。
ところがどうしたことか、最近の外務省のホームページにはもっとも「有力」な根拠であるはずの『隠州視聴合記』の記述がまったくありません(注2)。ふしぎです。外務省は同書をもはや無益と判断したのでしょうか。
さらに「竹島日本領派」の学者である塚本孝氏の「竹島=独島領有権問題」レビューには『隠州視聴合記』の記述がないばかりか、はては外務省のブレーンであった川上健三氏の著書は『隠州視聴合記』を日本領の根拠として扱いませんでした(注3)。なにやら『隠州視聴合記』は日本にとって不利な材料ではないかと推測されます。
その理由はふたつ考えられます。
【理由1】
私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注4)」と書かれました。
これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします。
そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります。
【理由2】
「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
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『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・
およそ4島、分けて島前、島後という(隠州視聴合記、隠岐国図、属島は179で、総称して隠岐小島という)。
別に松島、竹島があり、これに属する(隠岐古記、隠岐紀行、案ずるに隠地郡の福浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である。韓人は竹島を称して鬱陵島という。すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした。智者を待つが知れない。ついては、以て考えに備える)。
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/dainihonshi.jpg
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同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。しかも、それらの史料においてなぜ松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと率直に記しました。
これは、大谷家や村川家による竹島(鬱陵島)渡海事業、すなわち竹島(鬱陵島)侵略の実績が長年つみかさねられた結果、隠岐国の人々が両島をおのずと隠岐国所属と考えるようになったことを反映したと思われます。
(つづく)
これは メッセージ 9251 (te2222000 さん)への返信です.
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