隠州視聴合記を詳しく見る(1)
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/05/03 00:31 投稿番号: [9247 / 18519]
ちょっと混乱もあるようなので整理しておきましょう。
①隠州在北海中故云隠岐島 ②従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至泊州赤碕浦四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 ③戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島 ④俗言磯竹島多竹魚海鹿 ⑤此二島無人之地 見高麗如自雲州望隠州 ⑥然則日本之乾地 以此州為限矣
①隠州(隠岐島)は日本海(出雲藩の北の海)にある
→隠州について、国土のうち、どこにあるかの総括的説明をしています。藩の行政事務に資する文書でもあることから、所管地域を明示する意味もあったのは疑う余地がありません。
②隠州から南は雲州美穂関まで35里。東南は伯州赤崎浦まで40里。南西は石州の温泉津まで58里。北から東には行けるところがない。
→次に隠州の概要の説明を行っているわけです。①を発展させ、所管地域をさらに具体的に述べています。隠岐から国内の要地への距離をあらわしています。
③北西に2日と1夜行くとに松島(=竹島)があり、また1日ほど行くと竹島(=鬱陵島)がある。
→②に引き続き、北西方面の国内要地への距離を日数で示しています。当時、出雲藩は鬱稜島や竹島への渡航免許を持った者を確認する事務を行っていました。両島へ渡航する者は隠岐の出雲藩番所に立ち寄らなければなりませんでした。この隠州視聴合記の著者の斎藤豊仙もこの隠岐の出雲藩番所に勤務していました。竹島、松島という両島への渡航に際しては舟一艘、総船員21名以内という免許交付条件があったので、これが守られているか確認するためです。このことから、この当時は竹島どころか、鬱稜島までも日本領という認識を持っていたことが伺えます。
なお、鬱稜島への渡航が禁止されてからも松島への渡航許可を求める商人がいましたが、浜田藩御用達の会津屋八衛門は松島(現在の竹島)へ渡航するという申請をして渡航許可を幕府から得て、竹島(現在の鬱稜島)渡航し、渡海の禁を破った罪状で処刑されています。当時はご存じのように鎖国政策の真っ最中であり、渡航禁止の場所へ行くことは死罪になったのです。しかし、実際には松島渡航はアシカ猟以外は、密貿易目的が大半だったのかもしれません。この辺は隠岐が日本海密貿易を取り締まる最前線であったことが伺えます。
④俗に磯竹島と言い、竹・魚・海鹿が多い。
→鬱稜島の解説です。生態系など島の特性などを解説しています。俗名を書いたのは当時の本来の名称である竹島、松島を知らない渡海者への配慮をしたためと思われます。また、渡海者の管理行政を隠岐の出雲藩番所が担当していたので、島の生態まで記載したと思われます。もし、領土外という認識があるなら、こんなことは書くはずもありません。この両島が隠州の一部と見ているからこその記載でしょう。
①隠州在北海中故云隠岐島 ②従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至泊州赤碕浦四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 ③戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島 ④俗言磯竹島多竹魚海鹿 ⑤此二島無人之地 見高麗如自雲州望隠州 ⑥然則日本之乾地 以此州為限矣
①隠州(隠岐島)は日本海(出雲藩の北の海)にある
→隠州について、国土のうち、どこにあるかの総括的説明をしています。藩の行政事務に資する文書でもあることから、所管地域を明示する意味もあったのは疑う余地がありません。
②隠州から南は雲州美穂関まで35里。東南は伯州赤崎浦まで40里。南西は石州の温泉津まで58里。北から東には行けるところがない。
→次に隠州の概要の説明を行っているわけです。①を発展させ、所管地域をさらに具体的に述べています。隠岐から国内の要地への距離をあらわしています。
③北西に2日と1夜行くとに松島(=竹島)があり、また1日ほど行くと竹島(=鬱陵島)がある。
→②に引き続き、北西方面の国内要地への距離を日数で示しています。当時、出雲藩は鬱稜島や竹島への渡航免許を持った者を確認する事務を行っていました。両島へ渡航する者は隠岐の出雲藩番所に立ち寄らなければなりませんでした。この隠州視聴合記の著者の斎藤豊仙もこの隠岐の出雲藩番所に勤務していました。竹島、松島という両島への渡航に際しては舟一艘、総船員21名以内という免許交付条件があったので、これが守られているか確認するためです。このことから、この当時は竹島どころか、鬱稜島までも日本領という認識を持っていたことが伺えます。
なお、鬱稜島への渡航が禁止されてからも松島への渡航許可を求める商人がいましたが、浜田藩御用達の会津屋八衛門は松島(現在の竹島)へ渡航するという申請をして渡航許可を幕府から得て、竹島(現在の鬱稜島)渡航し、渡海の禁を破った罪状で処刑されています。当時はご存じのように鎖国政策の真っ最中であり、渡航禁止の場所へ行くことは死罪になったのです。しかし、実際には松島渡航はアシカ猟以外は、密貿易目的が大半だったのかもしれません。この辺は隠岐が日本海密貿易を取り締まる最前線であったことが伺えます。
④俗に磯竹島と言い、竹・魚・海鹿が多い。
→鬱稜島の解説です。生態系など島の特性などを解説しています。俗名を書いたのは当時の本来の名称である竹島、松島を知らない渡海者への配慮をしたためと思われます。また、渡海者の管理行政を隠岐の出雲藩番所が担当していたので、島の生態まで記載したと思われます。もし、領土外という認識があるなら、こんなことは書くはずもありません。この両島が隠州の一部と見ているからこその記載でしょう。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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