> 『高麗史』における于山の記述
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2003/01/27 17:18 投稿番号: [897 / 18519]
>于山島の名が一説の形で書かれたところをみると、当時、于山島の認識は確固たるものではなかったようです。その于山島の比定ですが、一説の内容からすると于山島は竹島=独島をさすものと思われます。
>
鬱陵島の近辺でめぼしい島は、現在の韓国名で竹島と観音島しかありませんが、それらは鬱陵島からの距離がそれぞれ2km, 数十メートルと近く天気が清明でなくても十分見えますので、これらは該当しないようです。そうなると、残る島は竹島=独島しかありえないことになります。
妙な論理展開ですね.
>于山島の認識は確固たるものではなかった
のに,その記述を元に
>その于山島の比定
をして何の意味があるのでしょうか.
因みに,
>お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
という表現は,邦貴さんのHPにある下記地図(八道総図,
1530年,『高麗史』1452年の記述の約80年後)の描写に非常に
しっくりきます.つまり,『高麗史』1452年の記述は,上記地図
程度の認識をベースに書かれたものにすぎません.
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2800/takeshima/paldo-chongdo.jpg>そうなると、残る島は竹島=独島しかありえないことになります。
ここまで強引な論理展開をするとは.吃驚しました.
これは メッセージ 887 (hangetsujoh さん)への返信です.
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