『高麗史』における于山の記述
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/01/26 10:04 投稿番号: [887 / 18519]
前回書いたように、新羅時代の認識は于山国=鬱陵島であり、于山島の名は登場しませんでした。この図式は初期の高麗にそのまま受けつがれました。于山国について、高麗史は女真族との関連でこう記述しました。
「顕宗9年(1018)、于山国が東北の女真の侵略をうけ農業がすたれたので、李元亀を派遣して農機具を下賜した(注1)」
初期の高麗にとって最大の敵は女真族でした。かれらが建国した契丹は、高麗の盟邦である渤海を滅ぼしたうえ、しばしば高麗に侵入してきました。かれらは北方の国境地帯のみならず、鬱陵島にまで侵入しました。遊牧騎馬民族であるかれらが海を渡って鬱陵島に侵略するとは意外です。
それはさておき、于山島の名前は高麗史にはじめてが登場しました(注2)。
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『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
鬱陵島:県の真東の海中にあり。新羅の時に于山国と称された。ときに武陵、ときに羽陵ともいう。島は百里四方で新羅の智證王12年(ママ)に降伏した。(高麗初代)太祖13年(930) にその島民は白吉と土豆を遣わし、貢ぎ物を献上した。
・・・
一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
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于山島の名が一説の形で書かれたところをみると、当時、于山島の認識は確固たるものではなかったようです。その于山島の比定ですが、一説の内容からすると于山島は竹島=独島をさすものと思われます。
鬱陵島の近辺でめぼしい島は、現在の韓国名で竹島と観音島しかありませんが、それらは鬱陵島からの距離がそれぞれ2km, 数十メートルと近く天気が清明でなくても十分見えますので、これらは該当しないようです。そうなると、残る島は竹島=独島しかありえないことになります。
(注1)『高麗史』巻四世家、顯宗九年十一月丙寅
以于山國 被東北女真所寇 廢農業 遣李元龜 賜農器
(注2)『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
鬱陵島:在縣正東海中 新羅時稱于山國 一云武陵 一云羽陵 地方百里 智證王一二年(ママ)来降 太祖一三年 其島人使白吉土豆 献方物 毅宗十一年 王聞 鬱陵島 地廣土肥 舊有州縣 可以居民 遣溟州道監倉 金柔立往視 柔立回奏云 島中有大山從山頂 向東行至海一萬余歩 向西行一萬三千余歩 向南行一萬五千余歩 有村落基址七所 有石佛鐵鍾石塔 多生柴胡蒿本石南草 然多岩石 民不可居 遂寝其議 一云于山・武陵本二島 相距不遠 風日清明 則可望見
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
「顕宗9年(1018)、于山国が東北の女真の侵略をうけ農業がすたれたので、李元亀を派遣して農機具を下賜した(注1)」
初期の高麗にとって最大の敵は女真族でした。かれらが建国した契丹は、高麗の盟邦である渤海を滅ぼしたうえ、しばしば高麗に侵入してきました。かれらは北方の国境地帯のみならず、鬱陵島にまで侵入しました。遊牧騎馬民族であるかれらが海を渡って鬱陵島に侵略するとは意外です。
それはさておき、于山島の名前は高麗史にはじめてが登場しました(注2)。
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『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
鬱陵島:県の真東の海中にあり。新羅の時に于山国と称された。ときに武陵、ときに羽陵ともいう。島は百里四方で新羅の智證王12年(ママ)に降伏した。(高麗初代)太祖13年(930) にその島民は白吉と土豆を遣わし、貢ぎ物を献上した。
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一説に于山と武陵は本来二島という。お互いの距離は遠くなく、天気が清明であれば望み見ることができる。
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于山島の名が一説の形で書かれたところをみると、当時、于山島の認識は確固たるものではなかったようです。その于山島の比定ですが、一説の内容からすると于山島は竹島=独島をさすものと思われます。
鬱陵島の近辺でめぼしい島は、現在の韓国名で竹島と観音島しかありませんが、それらは鬱陵島からの距離がそれぞれ2km, 数十メートルと近く天気が清明でなくても十分見えますので、これらは該当しないようです。そうなると、残る島は竹島=独島しかありえないことになります。
(注1)『高麗史』巻四世家、顯宗九年十一月丙寅
以于山國 被東北女真所寇 廢農業 遣李元龜 賜農器
(注2)『高麗史』巻58、地理志3、蔚珍縣
鬱陵島:在縣正東海中 新羅時稱于山國 一云武陵 一云羽陵 地方百里 智證王一二年(ママ)来降 太祖一三年 其島人使白吉土豆 献方物 毅宗十一年 王聞 鬱陵島 地廣土肥 舊有州縣 可以居民 遣溟州道監倉 金柔立往視 柔立回奏云 島中有大山從山頂 向東行至海一萬余歩 向西行一萬三千余歩 向南行一萬五千余歩 有村落基址七所 有石佛鐵鍾石塔 多生柴胡蒿本石南草 然多岩石 民不可居 遂寝其議 一云于山・武陵本二島 相距不遠 風日清明 則可望見
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 886 (hangetsujoh さん)への返信です.
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