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>世宗実録を検証

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/04/21 11:09 投稿番号: [8772 / 18519]
初めまして、
不戦親父です

この時期のもっとも重要な資料は東國輿地勝覧だろうと思います。

そのほか、ahiru氏の労作年表に資料の位置等々を加筆した私の資料集をアップしておきます。

成宗元年12月   永安道観察使から三峯島に賦役を逃れるものありと報告。
(注意・即位年は元年とは言わない。即位年の次が元年)
       ソウル大PDF   成宗実録第八巻   26/41
       新島との認識は明記されてない。

2年8月    江原道観察使が永安道住民が茂陵島=鬱陵島に逃亡していると報告。
       成宗が永安道の居民が逃げた鬱陵島への願行者を募集。
        同上第十一巻   27/53
      ここでは、茂陵島へ逃げた住民をつれもどすだけで、三峯島の語句は登場していない。
      王が三峯島=鬱陵島と把握していたとは確認できない。
      元年12月に三峯島への住民逃亡の報告があり、ここで茂陵島=鬱陵島への逃亡報告があるのみ。
      別々の観察使が島の名前を使い分けている。

3年2月   兵曹が三峰島に行くに必要な目録を提出。三峰島を知る金漢京の同行を願う。
      江原道海中にある三峯島探索   鬱陵島の文字なし。
      同上第十五巻21/47

3年3月   日本語・女真語の通訳同行決定。
      倭女真通事各一名を同行することだけ、三峯島敬差官の文字だけ、鬱陵島の文字なし。
      第十六巻20/33

3年6月   朴宗元ら調査にでかけるも遭難。他の船が鬱陵島を調査。
      朴宗元ははぐれたが途中で鬱陵島を見ている。
      他の3船は三日間鬱陵島を探索、住民は見なかったが家の旧址があることを報告。
      半島へ帰ってから、「風気漸高海波険悪更遣為難」
      どうやら再調査の必要を感じた模様。鬱陵島を再調査なのか、別島三峯島なのかは
      不明。      
成宗実録19 巻   6月   15/29ページ

4年     金漢京   半島から三峯島が見えると証言。
      諭永安道観察使鄭蘭宗曰 金漢京言 在慶興 遇清明日 可望見三峯島 自会寧
      向東舟行七昼夜而到 向北行四昼夜而還 前年遣人 往尋茂陵島 自蔚珍
      向東舟行一昼夜而到 西行三昼夜而還. 其所言地勢 有可疑者 世伝茂陵島之北
      有蓼島 無一人往還者 是亦可疑 卿 更訪問沿海古老舟人 詳究以啓 海路険悪
      今若遣人尋求 宜募願行者 人言邊民 逃賦 往投 不可置而不問 亦不可以難信之言
      渉険冒危 或致傾敗 卿其審情 度勢以啓 (成宗実録:成宗4年
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