竹島

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私の仮説

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/01/25 16:03 投稿番号: [873 / 18519]
ここで真面目に整理します。
韓国側の主張では、1900年10月25日の「大韓帝国勅令第41号」に記述されている「石島」が竹島であったと主張している。その勅令とは、以下のとおりである。
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勅令第四十一号
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正した件
第一条 鬱陵島を欝島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は五等にすること
第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
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この勅令の注目点は以下のとおり。
・ この勅令により、欝島の郡守が設置されている。その郡守が沈興沢である。
・ 竹島を「石島」としている。
・ 鬱陵島の改称に言及している。

勅令以外に考慮すべき事項として、当時の大韓帝国政府の地理の把握状況である。これに関しては、kunitaka氏のHPに詳しいが整理すると
・ 大韓帝国の学校でも使用された1899年の大韓全図では、竹島を正確に把握できてない。現在のchukudo-islandを于山としていた。
・ 1907の大韓新地志でも、竹島は大韓帝国の範囲外である。

これらの状況から、当然、沈興沢も勅令41号を知っていたはずであり、「石島」について大臣に伺いをたてるのが自然である。もし、「獨島」と変更するのであれば、そのことに言及しないのはおかしい。大臣も新たに出てきた「獨島」に何の疑問を呈していない。勅令41号の「石島」が「獨島」であれば、「獨島は即ち、石島にて我が領土」と指摘するのが自然である。
次に、勅令41号では鬱陵島の改称について言及しており、名称変更について適切な行政手続きが当時なされていたことがわかる。もし、「石島」を「獨島」へと名称変更したのであれば、これも行政手続きをしなければならないが、その形跡がない。
また、この時点でも92kmの距離を百余里(40kmあまり)としており、位置関係が適切に把握されておらず、竹島を正確に認識していたとは考えられない。1907年の大韓新地志での表記もこれを補完する。
最後に、時間を指摘する。日本側の報告と日付に相違が見られるが、韓国側の資料でも伺いをするのに、4月4日〜4月29日の26日間を要している。領土の侵害という喫緊の重大事件であり、すぐに中央政府の判断を仰ぐのが当然である。

以上より私は、「竹島調査の帰途に日本が、郡守沈興沢に竹島の件を報告するまで地方も含めて大韓帝国は竹島の存在を知らなかった。そして、新たに「獨島」と命名し距離(40km)の面から韓国領と判断した」と考える。

反論や当時の資料があれば、どしどし提示願います。沈興沢の郡守着任日も知りたいですね。
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