竹島

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竹島=独島問題、櫻井よしこ氏を批判 2-1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/04/16 22:43 投稿番号: [8633 / 18519]
   半月城です。
   前回に引きつづいて、櫻井よしこ氏の竹島=独島記事に対する批判を継続します。今回は近代以降を取りあげます。
   島根県の「竹島の日」条例は、1905年、竹島=独島を同県の管轄下におくという県告示100周年を機に制定されましたが、まずはその県告示にいたった当時の状況を簡単にみておきたいと思います。

   1904年に始まった日露戦争の帰趨は、日本海=東海における制海権をどちらが握るのかにかかっていました。同海域において日本の輸送船はロシアのウラジオ艦隊にしばしば沈められたので、劣勢の日本はウラジオ艦隊をいかに抑えるかが急務でした。
   そこで注目されたのが、鬱陵島と竹島=独島でした。同島に望楼を築き、ウラジオ艦隊の動きをさぐれば、日本は軍事的に有利になります。そんな時局のなかで漁夫の中井養三郎からリャンコ島の「領土編入ならびに貸下願」が日本政府に出されました。
   リャンコ島とは竹島=独島のことですが、当時は島名混乱のおかげで、竹島=独島はその日本名が完全に消えてしまい、フランス捕鯨船にちなんだ西洋名のリアンクール岩とか、リャンコ島とかよばれていました。

   中井の領土編入願いに対して、内務省は、戦争という時局に際し、韓国領の疑いがある莫荒たる不毛の岩礁を収めたら、諸外国に日本は韓国併呑の野心があるのではと疑われるとして反対しました。
   それも自然な成りゆきです。同省は、鬱陵島と竹島=独島を「本邦に関係なし」として、太政官の裁可を得ていたので、容易に賛成するはずはありません。

   ところが外務省の判断はちがっていました。戦争という「時局なればこそ その領土(竹島=独島)編入を急要とするなり、望楼を建築し 無線もしくは海底電信を設置せば 敵艦監視上 極めて届竟ならずや」として内務省を説得しました。
   明治政府内においてはこうした帝国主義者の意見がまさり、結局、竹島=独島は「無主地」であり、中井養三郎の「移住」が国際法上の「先占」にあたると強弁して領土編入を決定し「竹島」と命名する閣議決定をおこないました(注1)。
   ただし実のところ、竹島=独島は無主地ではないし、また中井の移住とは名ばかりで、実はアシカ猟の季節ごとに風で破損するような菰(こも)ぶき小屋に寝泊まりしたというのが実態でした。

   この閣議決定は、政府の官報などには一切掲載されず、島根県へこっそり伝えられました。そして秘密裡にことを運ぶためか、韓国には一切伝えられませんでした。小笠原諸島の場合には関係国と十分な協議をおこなったのと対照的です。閣議決定を受けた島根県は「竹島」を同県の所管とする告示をおこないました。
   この経過に対して、櫻井よしこ氏は韓国側の意見、および日本人学者の反論をつぎのように紹介しました。
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週刊新潮<「竹島」領有権を検証する>   05.04.07
   韓国側は、日本が竹島を島根県に組み入れたのは、1905年で、その際、韓国を含む他国が抗議しなかったから日本領だと主張するのは理不尽だ、なぜなら、韓国は前年の二月に日韓議定書を、8月には第1次日韓協約を結ばされて外交権を剥奪されており、発言できなかった状況だったからと主張する。

   米田教授はこの主張も誤りだと述べる。
「日韓議定書は韓国の外交権とは無関係です。第一次日韓協約によって日本が韓国の外交権を管轄した事実はありません・・・
   ちなみに日本が韓国の外交権を管轄するのは1905年11月の第二次日韓協約以降、竹島編入の9カ月後である。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
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