竹島

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竹島=独島問題、櫻井よしこ氏を批判する2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/04/10 19:52 投稿番号: [8505 / 18519]
   ここでまず問題なのは、下條正男氏の改ざん説が妥当かどうかです。同氏は、『輿地志』は単に「一説に于山鬱陵本一島」とし、『疆界考』の著者である申景濬が<而るに諸図志を考えるに、二島なり。一つは則ち其の所謂 松島にして、蓋し二島ともに于山国なり>と考察したと記しましたが、結論からいえば、これは下條氏の我田引水と思われます。
   正しくは、<しかるに諸図志を考えるに・・・>と考察したのは『輿地志』であり、改ざんなどはなかったと考えられます。その理由は下記に書いたとおりです。

  <下條正男氏への批判、朝鮮史書改ざん説>
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785

   その一方で、百歩譲って下條氏のいう改ざん説が正しい場合も考えておきたいと思います。この場合『輿地志』の著者である柳馨遠は于山島と鬱陵島は同一の島と考えたが、『疆界考』の著者である申景濬はそれを明確に否定し、諸図志を考察して、鬱陵島と于山島は別々の島であり、于山島は日本でいう松島であったという解釈になります。
   この場合、申景濬は自己の考えを『輿地志』の記述であるかのようにいつわってまでも『東国文献備考』に記述したことになります。すなわち、それほどに于山島は松島であるという確信を強くもっていたことになります。その裏づけには「諸図志」がひかえている構図になります。

   そうなると、下條氏や櫻井氏がいうように『輿地志』では于山島=松島という認識が成立しないので、たしかに「512年から竹島は朝鮮領だったという主張は成り立たないのだ」ということになります。
   しかし、その一方で朝鮮ではすくなくとも 1770年の官撰書『東国文献備考』では、引用の善し悪しは別にして、「于山国の一島である于山島は日本の松島である」と強く確信していたという結論になります。
   このように、たとえ下條説の史書改ざん説を認めたとしても、朝鮮の于山島=松島に対する領有意識はその時期が単に1770年にずれるのみで大勢に影響はありません。そこからは、櫻井よしこ氏がいう「于山島は竹島ではなかった」との結論は決してうまれません。

   なお、申景濬が于山島=松島であると確信するにいたった諸図志ですが、これは『世宗実録』地理志(注2)などであるとみられますが、そのほかにも安龍福の証言なども影響しているようです。
   それほど、漁夫・安龍福の足跡は大きな影響を与えたのですが、かれについても櫻井よしこ氏は下條氏の説をウノミにしているようで、こう記しました。
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   かれは1693年、江戸元禄時代に鬱陵島に渡ってきた。その時 日本人漁師に捕えられ、隠岐島経由で鳥取藩に送致されて取り調べを受けた。やがて朝鮮に送還されるが、3年後の1696年に再び隠岐に密航した。下條教授がこの人物を語った。
  「朝鮮に戻った彼は、日本側(鳥取藩)に鬱陵島と于山島をもって朝鮮の地界とする、つまり両方が朝鮮領であると告げたとか、鳥取藩主と相対で話したなどと朝鮮側に報告しています。しかし、そのような事実はなく出鱈目です。
   ところが、安龍福の語った<于山島は朝鮮領>というくだりは朝鮮王朝側の文献に記載されていったのです」
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(つづく)
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