下條正男氏への批判、安龍福1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/11/03 23:09 投稿番号: [6057 / 18519]
半月城です。
下條正男に対する批判をつづけたいと思います。
net_browneyさん、RE:5732
>この事件の主役である安は、干山島を「すこぶる大きな島」と称している。彼が示している鬱陵島からの方角といい、この島は竹島ではなく隠岐と考えるのが妥当だと過去にも再三指摘されたと思いますけど。
これは下條正男氏の説をウノミにして書いているのでしょうが、はたして下條氏の説が成り立つのかどうか検証が必要です。まずは下條氏の主張をみることにします。同氏は 1693年に朝鮮の漁民である安龍福が村川家により日本へ連行されたときのことをこう記しました。
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安龍福が于山島というものの存在を知ったのは、鳥取藩に密航する三年前の1693(元禄6)年4月、「鮑(あわび)と和布(わかめ)かせぎ」のため鬱陵島に渡ったときである。『竹嶋紀事』によると、対馬藩での取り調べに安龍福は、次のような供述を残している。
この度 参候(まいりそうろう)島より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候。終に参りたる事はこれ無く候。大方路法 一日路余もこれ有るべく候。
鬱陵島に初めて渡り、島の地理に詳しくなかった安龍福は、同行の朝鮮人から、于山島の存在を教えられていたのである。
では、安龍福が「ようやく二度、見た」という于山島はどの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ(注1)。
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下條氏は地図の見方をしらないとみえて、重大なまちがいをおかしています。下條氏は「今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置している」と書いていますが、実際のところ、竹島=独島は鬱陵島の真東からわずか北寄りに位置します。
下條氏は、おそらく平面図で竹島=独島が鬱陵島の東南東にあることから、竹島=独島の方向を鬱陵島の東南としたのでしょうが、地球が丸いという事実を忘れているようです。二点間の東西南北を知るには地球儀でなければなりません。
たとえば鬱陵島の真東というと、平面図ではサンフランシスコあたりになりますが、地球儀では南米チリのサンチアゴ近辺になります。ある地点における真の東西方向は南北の緯度線に直角な大圏になります。
したがって、竹島=独島が「鬱陵島の東南」だから「于山島は今日の竹島とは無縁」という下條氏の主張は完全な誤りであり、安龍福のいう「鬱陵島の北東」はだいたいの方角として正しいといえます。実際は東の方向を、漠然とした記憶で北東とのべたとしても信憑性をそこなうものではありません。北西の風を北風というようなものです。
ここでも下條氏はヤブヘビになった感がありますが、さらに『竹嶋紀事』の記事はさらにそれを強調する結果になりかねません。『竹嶋紀事』で、かの地すなわち鬱陵島に安龍福が逗留する間に于山島をようやく二度見たことがあり、その島は朝鮮人の間で于山島として知られていたことが記されました。
この記述は『世宗実録』地理志にある記述「二島、相去ること遠くなく、天候が清明なら、すなわち望み見ることができる」を実証するものにほかなりません。
さらに『竹島紀事』によれば、于山島は鬱陵島から一日の航路にあるので、距離的にも竹島=独島に合致します。
問題は「大きなる嶋」ですが、島の大きさに関する表現は相対的、主観的なものです。鬱陵島近辺で大きな島というと、現在の竹島=独島と観音島、それに韓国名でいう竹島の三島しかなく、他はすべて小さな岩嶼なので、松島(竹島=独島)を大きな島という表現は妥当です。
おまけに安龍福の自供はすべて手柄話の口調であり、随所に誇張や虚偽がみられるので、それを十分検証して読む必要があります。しかるに下條氏は、安龍福の自供は偽りや誇張が多いことを十分知りながら、なぜ「大きな嶋」だけは誇張とせず、あたかも真実であるかのように解釈したのでしょうか?
(つづく)
下條正男に対する批判をつづけたいと思います。
net_browneyさん、RE:5732
>この事件の主役である安は、干山島を「すこぶる大きな島」と称している。彼が示している鬱陵島からの方角といい、この島は竹島ではなく隠岐と考えるのが妥当だと過去にも再三指摘されたと思いますけど。
これは下條正男氏の説をウノミにして書いているのでしょうが、はたして下條氏の説が成り立つのかどうか検証が必要です。まずは下條氏の主張をみることにします。同氏は 1693年に朝鮮の漁民である安龍福が村川家により日本へ連行されたときのことをこう記しました。
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安龍福が于山島というものの存在を知ったのは、鳥取藩に密航する三年前の1693(元禄6)年4月、「鮑(あわび)と和布(わかめ)かせぎ」のため鬱陵島に渡ったときである。『竹嶋紀事』によると、対馬藩での取り調べに安龍福は、次のような供述を残している。
この度 参候(まいりそうろう)島より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候。終に参りたる事はこれ無く候。大方路法 一日路余もこれ有るべく候。
鬱陵島に初めて渡り、島の地理に詳しくなかった安龍福は、同行の朝鮮人から、于山島の存在を教えられていたのである。
では、安龍福が「ようやく二度、見た」という于山島はどの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ(注1)。
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下條氏は地図の見方をしらないとみえて、重大なまちがいをおかしています。下條氏は「今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置している」と書いていますが、実際のところ、竹島=独島は鬱陵島の真東からわずか北寄りに位置します。
下條氏は、おそらく平面図で竹島=独島が鬱陵島の東南東にあることから、竹島=独島の方向を鬱陵島の東南としたのでしょうが、地球が丸いという事実を忘れているようです。二点間の東西南北を知るには地球儀でなければなりません。
たとえば鬱陵島の真東というと、平面図ではサンフランシスコあたりになりますが、地球儀では南米チリのサンチアゴ近辺になります。ある地点における真の東西方向は南北の緯度線に直角な大圏になります。
したがって、竹島=独島が「鬱陵島の東南」だから「于山島は今日の竹島とは無縁」という下條氏の主張は完全な誤りであり、安龍福のいう「鬱陵島の北東」はだいたいの方角として正しいといえます。実際は東の方向を、漠然とした記憶で北東とのべたとしても信憑性をそこなうものではありません。北西の風を北風というようなものです。
ここでも下條氏はヤブヘビになった感がありますが、さらに『竹嶋紀事』の記事はさらにそれを強調する結果になりかねません。『竹嶋紀事』で、かの地すなわち鬱陵島に安龍福が逗留する間に于山島をようやく二度見たことがあり、その島は朝鮮人の間で于山島として知られていたことが記されました。
この記述は『世宗実録』地理志にある記述「二島、相去ること遠くなく、天候が清明なら、すなわち望み見ることができる」を実証するものにほかなりません。
さらに『竹島紀事』によれば、于山島は鬱陵島から一日の航路にあるので、距離的にも竹島=独島に合致します。
問題は「大きなる嶋」ですが、島の大きさに関する表現は相対的、主観的なものです。鬱陵島近辺で大きな島というと、現在の竹島=独島と観音島、それに韓国名でいう竹島の三島しかなく、他はすべて小さな岩嶼なので、松島(竹島=独島)を大きな島という表現は妥当です。
おまけに安龍福の自供はすべて手柄話の口調であり、随所に誇張や虚偽がみられるので、それを十分検証して読む必要があります。しかるに下條氏は、安龍福の自供は偽りや誇張が多いことを十分知りながら、なぜ「大きな嶋」だけは誇張とせず、あたかも真実であるかのように解釈したのでしょうか?
(つづく)
これは メッセージ 5732 (net_browney さん)への返信です.
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