竹島

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獨島問答 Q80,大韓毎日申報と皇城新聞

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/05/09 22:31 投稿番号: [4547 / 18519]
   愼𨉷廈教授の「獨島問題 百問百答」

Q80.(大韓毎日申報と皇城新聞)
   当時の世論はどうであったのか?   当時の新聞は日本の獨島侵奪、「領土編入」をどのように報道したのか?

ANS.当時、韓国に駐屯していた日本軍の憲兵隊司令部と統監府は韓国の新聞にたいする事前・事後検閲を実施していたので、これを自由に報道したり論評できなかった。
   しかしながら、当時の代表的な新聞である「大韓毎日申報」と「皇城新聞」は婉曲的な方法で日本の獨島侵奪に抗議し、これを批判して報道した。
   たとえば「大韓毎日申報」1906年5月1日付の雑報欄に「無変不有」(変がないのではなく有るという意味)というタイトルで鬱島郡守の沈興澤が内部に報告した報告書を引用して報道しながら、日本の獨島侵奪を鋭く批判した。
   ここで注目すべきは、まず「変」があるとしたタイトルである。国民(読者)に「変」があったことを知らせたのだ。つぎは「日本の官員一行が本郡(鬱島郡)に来て、本郡に所属している獨島は日本の属地であると自称」したというフレーズである。
   鬱島郡守・沈興澤の報告を引用しながら「鬱島郡所属の韓国属地である獨島を日本の官員一行が日本の属地と自称」したというものだった。そのフレーズで「大韓毎日申報」は、獨島が韓国領で鬱島郡に属した島なのに日本の官吏が日本の領土であるとみずから称したと批判、報道して抗議したのである。
  「大韓毎日申報」はつづいて「獨島を日本の属地と称したのは全く理にかなわないものであり、このたびの報告は本当に唖然とするのみである」とした内部(内務部)の指令文を引用報道する方法で、獨島を日本の領土へ「領土編入」と称して云々したのは全く理にかなわないもので唖然とするものだとして日本政府を辛辣に批判した。

   一方「皇城新聞」は 1906年5月9日付の雑報欄でタイトルの活字の大きさを通常より4倍も大きくして報道することにより、日帝の獨島侵奪の意図を断固と否定、批判した。
   ここで注目すべきは、まず「鬱島郡守が内部に報告」というタイトルの活字の大きさで、これは慣例的な大きさの4倍に達する特号活字である。読者が異例な特号活字の大きさに注目してまっ先に読むよう重要性を強調した。
   つぎに鬱島郡守・沈興澤の報告を引用して「本郡所属の獨島が本部外洋百余里にあるが、本月4日に日本の官員一行が官舎に来て、みずから云うには獨島が今や日本の領地になったので視察のついでに来島した」という行動を批判した事実である。
   ここで「皇城新聞」は、鬱島郡守・沈興澤の報告にある「本郡(鬱島郡)所属の獨島」の文字が注目されるようにして、獨島が鬱島郡に属し、鬱島郡守・沈興澤の行政下にある「大韓帝国領」であるのを強調した。
   つづいて「皇城新聞」は、日本官吏一行が鬱島郡守の官舎を訪ねて「みずから云うには(自云)獨島が今や日本領になったので視察のついでに来島した」とした出来事を報道し、今や日本がまさに獨島を侵奪して日本領にしていると暴露し、みずから云うには(自云)」という報告書の説明を引用し、日帝が獨島を侵奪する意図の不当性を指摘、批判した。
   結局、当時の日本軍憲兵隊司令部と統監府の峻厳な検閲制度下でも「大韓毎日申報」と「皇城新聞」は日帝の獨島侵奪の意図を間接的な方法で批判し、抗議したのである。
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