獨島問答 Q81-2, 黄[王玄]の批判
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/05/09 22:32 投稿番号: [4548 / 18519]
愼𨉷廈教授の「獨島問題 百問百答」
Q81.黄[王玄]の批判
当時の大韓帝国国民と知識人たちは、この報道を読んでどう反応したのか?
ANS.1906年当時は日帝の「乙巳5条約」強制執行と国権侵奪に対抗して、国民が国権回復をめざした愛国啓蒙運動と抗日義兵武装闘争を展開していた時期であり、もちろん国民は日帝の獨島侵奪事件を国権侵奪の企図に対する抵抗運動にいれて展開したのはいうまでもない。領土侵奪は国権侵奪の一部であるからである。
知識人の記録にあらわれる代表的な事例として梅泉・黄[王玄]の『梧下記聞』と『梅泉野録』をあげることができる。黄[王玄]は『梧下記聞』にて「鬱陵島の外100里(40km)にひとつの属島があり獨島とよばれるが、倭人が今や日本領になったとし、審査して行った」と記録した。
この記録で注目すべきは「鬱陵島の外100里にひとつの属島があり獨島とよばれるが」として「獨島」が鬱陵島の「属島」であることを明確にして韓国領であることを明らかにし、つづいて「倭人が今や日本領になったとし、調査して行った」と記録し、今まさに日本側が獨島を日本領にしようとしていることを暴露して批判したのである。
また、黄[王玄]は『梅泉野録』にて「鬱陵島の東の沖に距離が100里のところに一つの島があり、鬱陵島に旧属しているが、倭人がかれらの領地であると勒称し、審査していった」と記録した。
ここで注目すべきは「獨島」がその時まで鬱陵島に旧属(昔から所属)している島であるとして、大韓帝国の領土であることを明確に明らかにした点と、つぎに「倭人がかれらの領地であると勒称」したとして、獨島を日本人が勒称したことを批判した点である。
「勒称」とは、「強制で称する」「強弁で称する」「偽りで称する」「不当に称する」などの意味がみな含まれる用語である。
つまり、獨島は昔から当時まで鬱陵島に付属してきた韓国の領土であることが明確であり、獨島をいま日本領と称するのは不当な主張、強弁であることを黄[王玄]は明確にして記録したのである。
Q82.(侵奪の手始め)
それなら、1906年以後と日帝強占下で獨島はどうであったのか?
ANS.大韓帝国政府と当時の韓国民は、すでに大韓帝国の外部(外務部)が1906年1月17日に廃止されてしまい、日帝の統監府が韓国の外交と内政を指揮監督していために、単に日帝の獨島侵奪に対して抗議と抗論をしたのみで、抗議の外交文書を日本政府や国際社会に提出するルートあるいは機構がなかった。
それのみならず、日本の帝国主義者たちは韓半島全体を植民地として強占しようとしており、獨島侵奪はその作業の手始めであった。獨島は、韓国の領土であるが、東側で日本にもっとも近かったために一番最初に侵奪されたのである。したがって、韓国人たちは韓半島全体が侵奪される危険に対処するのに余念が無く、獨島を顧みられなかった。
Q81.黄[王玄]の批判
当時の大韓帝国国民と知識人たちは、この報道を読んでどう反応したのか?
ANS.1906年当時は日帝の「乙巳5条約」強制執行と国権侵奪に対抗して、国民が国権回復をめざした愛国啓蒙運動と抗日義兵武装闘争を展開していた時期であり、もちろん国民は日帝の獨島侵奪事件を国権侵奪の企図に対する抵抗運動にいれて展開したのはいうまでもない。領土侵奪は国権侵奪の一部であるからである。
知識人の記録にあらわれる代表的な事例として梅泉・黄[王玄]の『梧下記聞』と『梅泉野録』をあげることができる。黄[王玄]は『梧下記聞』にて「鬱陵島の外100里(40km)にひとつの属島があり獨島とよばれるが、倭人が今や日本領になったとし、審査して行った」と記録した。
この記録で注目すべきは「鬱陵島の外100里にひとつの属島があり獨島とよばれるが」として「獨島」が鬱陵島の「属島」であることを明確にして韓国領であることを明らかにし、つづいて「倭人が今や日本領になったとし、調査して行った」と記録し、今まさに日本側が獨島を日本領にしようとしていることを暴露して批判したのである。
また、黄[王玄]は『梅泉野録』にて「鬱陵島の東の沖に距離が100里のところに一つの島があり、鬱陵島に旧属しているが、倭人がかれらの領地であると勒称し、審査していった」と記録した。
ここで注目すべきは「獨島」がその時まで鬱陵島に旧属(昔から所属)している島であるとして、大韓帝国の領土であることを明確に明らかにした点と、つぎに「倭人がかれらの領地であると勒称」したとして、獨島を日本人が勒称したことを批判した点である。
「勒称」とは、「強制で称する」「強弁で称する」「偽りで称する」「不当に称する」などの意味がみな含まれる用語である。
つまり、獨島は昔から当時まで鬱陵島に付属してきた韓国の領土であることが明確であり、獨島をいま日本領と称するのは不当な主張、強弁であることを黄[王玄]は明確にして記録したのである。
Q82.(侵奪の手始め)
それなら、1906年以後と日帝強占下で獨島はどうであったのか?
ANS.大韓帝国政府と当時の韓国民は、すでに大韓帝国の外部(外務部)が1906年1月17日に廃止されてしまい、日帝の統監府が韓国の外交と内政を指揮監督していために、単に日帝の獨島侵奪に対して抗議と抗論をしたのみで、抗議の外交文書を日本政府や国際社会に提出するルートあるいは機構がなかった。
それのみならず、日本の帝国主義者たちは韓半島全体を植民地として強占しようとしており、獨島侵奪はその作業の手始めであった。獨島は、韓国の領土であるが、東側で日本にもっとも近かったために一番最初に侵奪されたのである。したがって、韓国人たちは韓半島全体が侵奪される危険に対処するのに余念が無く、獨島を顧みられなかった。
これは メッセージ 4547 (hangetsujoh さん)への返信です.
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