横レス(石島)
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/03/09 01:49 投稿番号: [3805 / 18519]
そのうち先生さんからのお返事があるでしょうが、ちょっと一言、横レスします。
>先生や下條正男氏は、石島をどうしても観音島に仕立てあげたいのでしょうが、観音島が石島と呼ばれた痕跡はケシ粒ほどもありません。
痕跡がないのは言うまでもありません。しかし、周辺情況から整合的に考えてどうなるかというのが問題でしょう。「dok do」=「tolseom」の方言説しか根拠のない独島もどうかと思いますね。全羅道の人が多かったから、それらしく見える程度のこと。後付けの感は免れません。
>観音島は「鬱陵島外圖」および『啓本草』において「島項」の名で記されました。
現在は観音島の対岸側を指す地名ですが、地図ではどうして観音島のところに島項と書いてあるのでしょうかね。おそらく当時はこの観音島あたり一帯をそう呼んだのではないでしょうか。
>『啓本草』において島項は「ただ竹藪があるのみ」と説明されましたが、当時も石の島とはほど遠かったようです。
当時も現在も基本的には石でできている島でしょう。写真を見れば済むことです。
>さらにこの島を島民は鳥の名から俗称で「Ggak sae島」と呼んでいたことが知られています。
当時、そう呼ばれたという根拠はないでしょう。
>一方、竹島=独島のほうは 1904年にはすでに「韓人」すなわち鬱陵島の韓国人が「獨島」とよんでいた事実が日本の軍艦、新高号の日誌で知られています。したがって"Dok do"すなわち獨島=石島という主張は、下記に書いたように無理がありません。
1904年に独島と呼ばれたのは確かですが、だからといってどうして「したがって〜無理がありません」なのでしょう。とにかく1904年には独島と呼ばれたということと1900年の勅令を結びつけるものは「全羅方言ではtolがtokとなりうる」ということだけでしょう。
>結局、石島を鬱島郡に改編した勅令第41号は、獨島を韓国領として内外に宣言したものにほかなりません。
私は石島を観音島とするにしても、独島とするにしても、いずれも推測の域を出ないものと思いますね。周辺的な資料の整合性を考えれば観音島でしょう。
ちなみに、同時期、于山島という名前が正式にこの時期まで政府の文書(地図など)にあったにもかかわらず、どうして于山島の名前が消えたのでしょうか。于山島の名前は、どこに行ったのでしょうか。半月城さんは次のように書いています。
>どうやら禹用鼎のアドバイスか、鬱陵島民が愛称で呼んでいた石島が行政機関で島の正式名称になったようでした。(半月城通信より)
ちょっとご都合主義ではないでしょうか。もちろん、以後、石島の名称は一度も使われていません。
それとついでですが、半月城さんは李奎遠の調査において「松島」はなかったというような理解ではなかったでしょうか。よく見えないのですが、ご提示の地図の竹島の二つ下のとんがった島、松島と書いてないですか。いえ、これは全くどうでもいい話ですが。
何か書き込む人もいないとよくないでしょうから、横から書きました。では、失礼しました。
>先生や下條正男氏は、石島をどうしても観音島に仕立てあげたいのでしょうが、観音島が石島と呼ばれた痕跡はケシ粒ほどもありません。
痕跡がないのは言うまでもありません。しかし、周辺情況から整合的に考えてどうなるかというのが問題でしょう。「dok do」=「tolseom」の方言説しか根拠のない独島もどうかと思いますね。全羅道の人が多かったから、それらしく見える程度のこと。後付けの感は免れません。
>観音島は「鬱陵島外圖」および『啓本草』において「島項」の名で記されました。
現在は観音島の対岸側を指す地名ですが、地図ではどうして観音島のところに島項と書いてあるのでしょうかね。おそらく当時はこの観音島あたり一帯をそう呼んだのではないでしょうか。
>『啓本草』において島項は「ただ竹藪があるのみ」と説明されましたが、当時も石の島とはほど遠かったようです。
当時も現在も基本的には石でできている島でしょう。写真を見れば済むことです。
>さらにこの島を島民は鳥の名から俗称で「Ggak sae島」と呼んでいたことが知られています。
当時、そう呼ばれたという根拠はないでしょう。
>一方、竹島=独島のほうは 1904年にはすでに「韓人」すなわち鬱陵島の韓国人が「獨島」とよんでいた事実が日本の軍艦、新高号の日誌で知られています。したがって"Dok do"すなわち獨島=石島という主張は、下記に書いたように無理がありません。
1904年に独島と呼ばれたのは確かですが、だからといってどうして「したがって〜無理がありません」なのでしょう。とにかく1904年には独島と呼ばれたということと1900年の勅令を結びつけるものは「全羅方言ではtolがtokとなりうる」ということだけでしょう。
>結局、石島を鬱島郡に改編した勅令第41号は、獨島を韓国領として内外に宣言したものにほかなりません。
私は石島を観音島とするにしても、独島とするにしても、いずれも推測の域を出ないものと思いますね。周辺的な資料の整合性を考えれば観音島でしょう。
ちなみに、同時期、于山島という名前が正式にこの時期まで政府の文書(地図など)にあったにもかかわらず、どうして于山島の名前が消えたのでしょうか。于山島の名前は、どこに行ったのでしょうか。半月城さんは次のように書いています。
>どうやら禹用鼎のアドバイスか、鬱陵島民が愛称で呼んでいた石島が行政機関で島の正式名称になったようでした。(半月城通信より)
ちょっとご都合主義ではないでしょうか。もちろん、以後、石島の名称は一度も使われていません。
それとついでですが、半月城さんは李奎遠の調査において「松島」はなかったというような理解ではなかったでしょうか。よく見えないのですが、ご提示の地図の竹島の二つ下のとんがった島、松島と書いてないですか。いえ、これは全くどうでもいい話ですが。
何か書き込む人もいないとよくないでしょうから、横から書きました。では、失礼しました。
これは メッセージ 3795 (hangetsujoh さん)への返信です.
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