>島名の混乱と太政官決定
投稿者: mekatarami 投稿日時: 2004/01/04 22:15 投稿番号: [2807 / 18519]
新年早々、悪い癖が出ましたなァ。
今年も絶好調ですなァ。
>それをもとに内務省や太政官は「版図の取捨は国家の重大事」という認識を
>もって慎重に松島、竹島を放棄する決定を行ったのでした。この決定で
>内務省や太政官は、隠岐の沖合にある二島、すなわち鬱陵島と竹島=独島の
>領有権を放棄したといえます。この決定は明治政府としての決定である
>ことはいうまでもありません。
明治政府が鬱陵島=竹島、竹島(独島)=松島の認識を持っており、かつ、
その両島を放棄する気でいたなら、
何も「外一島」などという言い方はせんでもええわけですわなァ。
ハッキリ「竹島及び松島」と言えばええわけですから。
結局、何度もここで話題になっている、「『外一島』が竹島(独島)を指す
根拠」は、残念ながら今回も示されなんだわけですなァ。
まあ、どっちにしろ、1905年に日本が竹島(独島)の実効支配を開始した以上、
先の放棄云々という話は、国際法上意味を持たんのでしょうけどな。
それよりも、1905年以前の、大韓帝国政府による独島実効支配を証明する
資料は、どないなりましたかなァ?
「于山島」が「于山島」ではなく、「石島」なる珍妙な島名で、権威ある
帝国の勅令に記載された経緯と、それがいつのまにやら「独島」に変わって
しまった経緯。
ついでに、大韓帝国政府が独島にどういう行政行為を行っていたか。
このへんもご教授いただけると大変ありがたいですなァ。
これは メッセージ 2806 (hangetsujoh さん)への返信です.
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