島名の混乱1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/04 18:31 投稿番号: [2804 / 18519]
半月城です。
獨島問答 Q46(島名の混乱)にかんするコメントをここに記すことにします。
1876(明治9)年10月、島根県から内務省に松島、竹島の所属を質問する「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」が提出されました。
そのわずか3か月前、ロシアのウラジオストック在留の青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、外務省に「松島開拓之議」を提出しました。外務省における島名混乱の始まりです。ここにいう松島は鬱陵島をさしますが、これは欧米系の誤謬地図に惑わされた結果でした。
武藤の「松島開拓之議」を知った児玉貞易は同じ月に、斉藤七郎兵衛は翌年に相次いでウラジオストックの日本領事館に「松島開拓願」を提出しました。また、さらにその翌年には下村輪八郎が「松島開拓願」を提出しました。
これら外務省の動きとは別に 1877年3月、太政官は松島、竹島を放棄しましたが、その2か月前に島根県士族の戸田敬義は「竹島渡海願」を東京府に申請しました。ここで戸田がいう竹島ですが、願書のなかで米子町人による竹島渡海事業や石見国浜田の会津屋八右衛門の密航などにもふれ「徳川氏執権之時ハ殊ニ厳禁之海路」と書いてあるので、竹島は従来の呼び名のとおり鬱陵島をさしていました。
この申請を受けた知事は、中央政府に照会するまでもなく「書面竹島渡航願之儀 難聞届候事」とすげなく却下しました。竹島は朝鮮領の鬱陵島であると認識していたためと思われます。
さて、前記「松島」開拓願いを受けた外務省は、松島なる島がはたしてどこにあるのかをめぐって混乱しました。開拓願いの松島は当時の外務省の松島認識とことなっていたためです。当時、松島、竹島にかんする外務省の代表的な認識はおおむね次のとおりでした。( )内は代表的な意見の持ち主です。
古来の竹島:デラセ(ダジュレー)島(渡辺)、鬱陵島(渡辺)
古来の松島:ホーネットロックス(渡辺、坂田)、于山島(田辺)
混乱をおさめるべく、外務省の記録局長・渡辺洪基は島根県に松島を照会するとともに、鑑船を派遣して調査することを提案しました。渡辺は島根県令からの回答や内外の資料を調査して下記のように推論しました(注1)。
(1) 古来わが国で「竹島」と称したのは、朝鮮の鬱陵島のことである。
(2) デラセ島(ダジュレー島)を松島としているが、それは本来の竹島であり、鬱陵島である。
(3) わが国で古来松島としているのは、ホルネットロックス(ホーネット・ロックス)のことである。
(4) ヨーロッパ人は、古来の竹島を松島となし、さらに烏有の島(アルゴナウト島)に対し竹島を想起したもののごとくである。
烏有とは存在しないという意味ですが、渡辺は松島、竹島=独島の実状をほぼ正しく把握していたようでした。しかし、渡辺は
(5) ホルネットロックス(古来の松島)がわが国に属していることは、各国のいずれの地図も一致している
としましたが、そのような地図が存在しないことはすでに記したとおりです。ちなみに渡辺がそのように断定した根拠は、英仏の地図において対馬や竹島 松島を朝鮮領と同色で塗っているが、対馬が日本領なので、対馬と同じ色の竹島 松島も日本領であるべきで、日本色に塗り直すべきである、また、島名に松島 竹島という日本語が使われているから「暗に日本所属」というもので、思わず噴きだしてしまうような珍説です。
<外務省内の「竹島・松島」島名混乱と結論>
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.684
一方、艦船を派遣して「松島」を調査する案ですが、これにたいし同省の公信局長・田辺太一は他国を測量するのは外交上好ましくないとしてこう反対しました。
(つづく)
獨島問答 Q46(島名の混乱)にかんするコメントをここに記すことにします。
1876(明治9)年10月、島根県から内務省に松島、竹島の所属を質問する「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」が提出されました。
そのわずか3か月前、ロシアのウラジオストック在留の青森県士族・武藤平学は、鬱陵島の材木伐採や鉱山開発などの計画をたて、外務省に「松島開拓之議」を提出しました。外務省における島名混乱の始まりです。ここにいう松島は鬱陵島をさしますが、これは欧米系の誤謬地図に惑わされた結果でした。
武藤の「松島開拓之議」を知った児玉貞易は同じ月に、斉藤七郎兵衛は翌年に相次いでウラジオストックの日本領事館に「松島開拓願」を提出しました。また、さらにその翌年には下村輪八郎が「松島開拓願」を提出しました。
これら外務省の動きとは別に 1877年3月、太政官は松島、竹島を放棄しましたが、その2か月前に島根県士族の戸田敬義は「竹島渡海願」を東京府に申請しました。ここで戸田がいう竹島ですが、願書のなかで米子町人による竹島渡海事業や石見国浜田の会津屋八右衛門の密航などにもふれ「徳川氏執権之時ハ殊ニ厳禁之海路」と書いてあるので、竹島は従来の呼び名のとおり鬱陵島をさしていました。
この申請を受けた知事は、中央政府に照会するまでもなく「書面竹島渡航願之儀 難聞届候事」とすげなく却下しました。竹島は朝鮮領の鬱陵島であると認識していたためと思われます。
さて、前記「松島」開拓願いを受けた外務省は、松島なる島がはたしてどこにあるのかをめぐって混乱しました。開拓願いの松島は当時の外務省の松島認識とことなっていたためです。当時、松島、竹島にかんする外務省の代表的な認識はおおむね次のとおりでした。( )内は代表的な意見の持ち主です。
古来の竹島:デラセ(ダジュレー)島(渡辺)、鬱陵島(渡辺)
古来の松島:ホーネットロックス(渡辺、坂田)、于山島(田辺)
混乱をおさめるべく、外務省の記録局長・渡辺洪基は島根県に松島を照会するとともに、鑑船を派遣して調査することを提案しました。渡辺は島根県令からの回答や内外の資料を調査して下記のように推論しました(注1)。
(1) 古来わが国で「竹島」と称したのは、朝鮮の鬱陵島のことである。
(2) デラセ島(ダジュレー島)を松島としているが、それは本来の竹島であり、鬱陵島である。
(3) わが国で古来松島としているのは、ホルネットロックス(ホーネット・ロックス)のことである。
(4) ヨーロッパ人は、古来の竹島を松島となし、さらに烏有の島(アルゴナウト島)に対し竹島を想起したもののごとくである。
烏有とは存在しないという意味ですが、渡辺は松島、竹島=独島の実状をほぼ正しく把握していたようでした。しかし、渡辺は
(5) ホルネットロックス(古来の松島)がわが国に属していることは、各国のいずれの地図も一致している
としましたが、そのような地図が存在しないことはすでに記したとおりです。ちなみに渡辺がそのように断定した根拠は、英仏の地図において対馬や竹島 松島を朝鮮領と同色で塗っているが、対馬が日本領なので、対馬と同じ色の竹島 松島も日本領であるべきで、日本色に塗り直すべきである、また、島名に松島 竹島という日本語が使われているから「暗に日本所属」というもので、思わず噴きだしてしまうような珍説です。
<外務省内の「竹島・松島」島名混乱と結論>
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.684
一方、艦船を派遣して「松島」を調査する案ですが、これにたいし同省の公信局長・田辺太一は他国を測量するのは外交上好ましくないとしてこう反対しました。
(つづく)
これは メッセージ 2803 (hangetsujoh さん)への返信です.
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