竹島

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獨島問答 Q46

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/01/04 18:23 投稿番号: [2803 / 18519]
Q46.(島名の混乱)
   この時、日本の海軍はなぜ「獨島(于山島)」を「松島」と表示せず「リアンクール岩」と表示したのか?   なぜ日本は最初は「鬱陵島」を「竹島」と呼んだが、獨島を「リアンクール岩」と表示するときから「鬱陵島」を「松島」と呼ぶようになったのか?   「竹島」という日本の表示は消えたのか?

ANS.日本では 1878-1880年に「鬱陵島」と「獨島」の呼称に大混乱と変動があった。日本では 1876年に武藤平學という人が東海に朝鮮の「鬱陵島」でなく自然資源が豊富な新しい島を発見したと騒ぎたて、外務省に「松島開拓之議」すなわち松島開拓願いを提出した。
   当時、日本の外務省は朝鮮の鬱陵島を「竹島」、朝鮮の「于山島(獨島)」と呼び、「竹島(鬱陵島)」と「松島(獨島)」をみな朝鮮領土と確認し、その中で「松島(獨島)」は朝鮮の小さな岩の島にすぎないとみていた。
   しかるに自然の条件が豊饒で人が数千名も住むことができる新島を発見したということで「松島開拓」を願いでてくるや、海軍省にその実測調査を依頼した。
   日本の海軍省は「朝・日修好条規」(1876年)にて得た利権である朝鮮海岸測量権に依拠して天城丸という軍艦を派遣して 1878年4月と 1890年9月「松島」の実態を二度も実測調査した。
   しかし、新たに発見したというその「松島」は他でもない朝鮮の鬱陵島であった。日本海軍は「松島開拓」という名目で莫大な予算を使用し、また日本海軍の軍艦を初めて「松島」実測調査に投入したのであった。
   その結果、日本海軍は「松島」が朝鮮の「鬱陵島」と判明し、武藤の「松島開拓之議」を却下した後にも、朝鮮の鬱陵島を新たに「松島」と呼び始めた。

   その間、日本人と日本海軍は朝鮮の于山島(獨島)を「松島」と呼んできた。しかし「松島」が朝鮮の「鬱陵島」に名づけられたので、朝鮮の于山島(獨島)にフランス捕鯨船がつけた名である "Liancour Rocks"をとり、獨島(于山島)を「リアンクール岩」と呼び『朝鮮水路誌』にもそのように表示し始めた。
   そうなると、海軍省水路局に大きく依存する日本漁民たちも次第に海軍省の呼称にしたがうようになり、1880年代からは日本では朝鮮の「于山島(獨島)」を「リアンクール岩」に、「鬱陵島」を「松島」と呼称するようになった。
   しかるに日本漁夫たちは「リアンクール岩」が長く呼びづらいので、これを「リャンコ島」と略称した。従来、日本人が「鬱陵島」につけた「竹島」は消え去り、とんでもないことに 1905年1月28日、日本の内閣会議では朝鮮の「于山島(獨島)」に「竹島」という日本の呼称をつけたのであった。

コメント:次の書き込みに記します。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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