于山・武陵2島説は、罪逃れの嘘が原因
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2003/11/12 02:50 投稿番号: [2663 / 18519]
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太宗実録12年4月巳巳条(要約)
流山国の島人の白加忽ら12名が殄羅津に来て停泊している。彼らが言うには、「武陵島で生まれ育ち、その島の人口は60人程度。本島に移住したが、この島は東西・南北共に6里あまりで周囲は24里。この島には牛馬も水田もないが、種豆一斗から2,30石、麦1石から50石程度の収穫がある。巨大な竹が生え、果木や海産物が豊富である」
江原道の役人は逃亡されるのを恐れ彼らを通州ら三カ所に止めている。
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要約の元となった訳文は「日本海と竹島(大西俊輝)」より。原文は未入手。
即ち、白加忽は武陵島(鬱陵島)以外に、60人が住める島があると報告しているのである。これはあり得ない。何故、こんな嘘をついたのか?それは鬱陵島が空島政策中だったからである。つまり、空島政策を破った罪を誤魔化すために武陵(鬱陵)島以外の架空の島(後の于山島)が丁稚あげられた。
朝鮮の古地図で、鬱陵島と同じくらいの大きさの島が隣接して描かれている理由もこれですね。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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