竹島

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獨島問答 Q18-20

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/10/19 10:11 投稿番号: [2604 / 18519]
Q18.他の古文書資料にはどのようなものがあり、その特徴は何か?
A.『東国輿地勝覧』と『新増東国輿地勝覧』がある。この本には江原道蔚珍縣条に「于山島・鬱陵島:武陵島ともいい、二島は県の真東(蔚珍縣)の海中にある。(中略)(于山島、鬱陵島:一云武陵 一云羽陵 二島在縣正東海中(以下略)」と記録されている。
   朝鮮王朝は 1481年(成宗12年)に『東国輿地勝覧』を編纂し、50年後である 1531年(中宗26年)にこれを増補し『新増東国輿地勝覧』を編纂したが、増補した部分は特に表示した。
   現在『東国輿地勝覧』は伝わらないが、その内容は『新増東国輿地勝覧』にみな含まれている。『東国輿地勝覧』『新増東国輿地勝覧』は単純な官撰地理書ではなく、朝鮮王朝が領有する領土に対する規定と解説書なのでとても重要である。この本に収録された地域や郡・県と島はみな朝鮮王朝の領土である。
   すなわち朝鮮王朝の朝廷は『東国輿地勝覧』(および『新増東国輿地勝覧』)に朝鮮王朝が統治する領土の内容を規定し、その領土に対する来歴と地理的解説を整理して編纂刊行し、国内外にひろく頒布することにより自己が統治する領土を世間に明白に宣明したのである。
   このように『新増東国輿地勝覧』で新増部分でなく元来の『東国輿地勝覧』部分において、于山島(獨島)と鬱陵島の二島が行政区域上で江原道 蔚珍縣に属した朝鮮王朝の領土であることを明らかにした。
   この資料は獨島が朝鮮王朝であることを15世紀に明確に証明し、世間に宣明した決定的に重要な資料である。『東国輿地勝覧』の記録は『世宗実録』地理志を継承したものといえる。

コメント:『東国輿地勝覧』の解説は下記に書いたとおりです。
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.685

Q19.その他に獨島が于山国の領土で、すでに西暦 512年以来、韓国領土であることを証明する古文献資料にはどんなものがあるのか?
A.たとえば 1808年に編纂された『萬機要覧』軍政編がある。この文献には「『輿地志』にいうには鬱陵島と于山島はみな于山国の地である。于山島は倭人がいうところの松島である」と記録された。
   この資料に引用された『輿地志』という本は現在発見されていない。しかし、これを引用した『萬機要覧』軍政編という朝鮮王朝政府が編纂した本に引用された上記の記録は二段がまえで「獨島」が于山国であり、韓国領土であったことを証明している。
   まず最初の文章で「鬱陵島と于山島(獨島)は“みな”于山国の地」として、鬱陵島だけでなく「于山島(獨島)も“みな”(二島すべて)昔の于山国の領土であったことを明確に明らかにしている。
   二段目の文章は「于山国(獨島)は倭人がいう松島である」として、于山島がまさに今日の「獨島」であることをくり返し明らかにしている。
   今日とちがい、日本は 1870年代末まで朝鮮の鬱陵島を「竹島」と称し、獨島(于山島)を「松島」と呼称した。これは日本のすべての学者と日本政府も認定する事実である。うえの資料の二段目の文章で「于山島は倭人がいう松島である」としたのは「于山島はすなわち(今日の)獨島である」という意味なのである。
   そうであるから『萬機要覧』軍政編は「獨島」が鬱陵島とともに「みな」昔の于山国領であることを明確に証明しており、また「獨島」が 1808年以前に韓国では「于山島」と呼ばれ、韓国の固有領土であることを明確に証明しているのである。
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