対日講和条約草案(修正)2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/06/01 17:22 投稿番号: [1948 / 18519]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
米国務省第6次草案(1949.12.29)
第3条 1.日本の領土は、四主要島である本州、九州、四国及び北海道並びに瀬戸内海の島々、対馬、竹島(リアンクール岩)Takeshima (Liancourt Rocks)、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻・・・歯舞群島及び色丹を含むすべての隣接諸小島からなる・・・
第6条 日本は、ここに、朝鮮のために、朝鮮本土並びに済州島、巨文島、鬱陵島及び日本がかねて権原を獲得したその他のすべての島嶼を含む、朝鮮のすべての沖合島嶼に対するすべての権利及び権原を放棄する(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この第6次案で竹島=独島やハボマイ・シコタンがはっきり日本領と明記されたことは注目されます。しかし、これが次の第7次案では記述が簡略化され、朝鮮関係では竹島=独島はおろか、鬱陵島など具体的な島名の記載が一切なくなりました。
こうした簡略な記述は同盟国の不審をかいました。オーストラリア政府は「旧日本領の処分に関して一層精密な情報を求む」と要求しました。当然の疑問です。これに対し、アメリカは「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島・・・これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている・・・」と回答しました。アメリカはひきつづき竹島=独島を日本領と考えていたようでした。
このように具体的な島名を条約で明示しない方式は、その次の第8次案や第9次の最終草案などにも引き継がれました。これはハボマイ・シコタンなど北方4島をめぐり、連合国であるソ連の意向が影をおとしたようでした。ソ連は、東西冷戦のさなかにあって、アメリカ案に反対し、結局は講和条約に調印しませんでした。
こうして日本の付属島嶼を条約で明確化しないアメリカ案と、逆に日本領を地図で明示するイギリス案とが対立することになりました。そこで米英両国間で調整がはかられ、折衷案が作成されました。その経過をアメリカ国務省の注釈書(1951.6.1)はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ワシントンでの(イギリスとの)話し合いにおいて合衆国は、日本の周りに連続した線を巡らすと日本を柵の中に囲い込むように見えるという心理的不利益を指摘し、英国はこの提案を落とすことに同意した。日本も、東京で英国の提案が話し合われたとき、これに反対した。
条約中に朝鮮の領土が済州島、巨文島および鬱陵島を含む旨 明細に述べることを合衆国が進んで受け入れたこともまた、英国を説得するのに役立った(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
米英両国の折衷案として、条約には済州島、巨文島、鬱陵島の三島のみがこう記載されることになりました。
「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島および鬱陵島を含む)、・・・に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」
一方、北方領土関係では北方4島について何らの記述もありませんでした。こうしたあいまいな記述では、将来領土紛争が起きかねないと憂慮した連合国のニュージーランドはこう見解を表明しました。
「日本近傍のいずれの島にも主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性にかんがみ、英国草案第1条で提案されているように日本が保持すべき領土を経緯度によって正確に画定することが望ましいと考える。
この方式を採用すれば、たとえば現在ソ連の占領下にある歯舞諸島及び色丹が日本に残ることを明確にすることができるであろう(注2)」
(つづく)
米国務省第6次草案(1949.12.29)
第3条 1.日本の領土は、四主要島である本州、九州、四国及び北海道並びに瀬戸内海の島々、対馬、竹島(リアンクール岩)Takeshima (Liancourt Rocks)、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻・・・歯舞群島及び色丹を含むすべての隣接諸小島からなる・・・
第6条 日本は、ここに、朝鮮のために、朝鮮本土並びに済州島、巨文島、鬱陵島及び日本がかねて権原を獲得したその他のすべての島嶼を含む、朝鮮のすべての沖合島嶼に対するすべての権利及び権原を放棄する(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この第6次案で竹島=独島やハボマイ・シコタンがはっきり日本領と明記されたことは注目されます。しかし、これが次の第7次案では記述が簡略化され、朝鮮関係では竹島=独島はおろか、鬱陵島など具体的な島名の記載が一切なくなりました。
こうした簡略な記述は同盟国の不審をかいました。オーストラリア政府は「旧日本領の処分に関して一層精密な情報を求む」と要求しました。当然の疑問です。これに対し、アメリカは「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島・・・これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている・・・」と回答しました。アメリカはひきつづき竹島=独島を日本領と考えていたようでした。
このように具体的な島名を条約で明示しない方式は、その次の第8次案や第9次の最終草案などにも引き継がれました。これはハボマイ・シコタンなど北方4島をめぐり、連合国であるソ連の意向が影をおとしたようでした。ソ連は、東西冷戦のさなかにあって、アメリカ案に反対し、結局は講和条約に調印しませんでした。
こうして日本の付属島嶼を条約で明確化しないアメリカ案と、逆に日本領を地図で明示するイギリス案とが対立することになりました。そこで米英両国間で調整がはかられ、折衷案が作成されました。その経過をアメリカ国務省の注釈書(1951.6.1)はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ワシントンでの(イギリスとの)話し合いにおいて合衆国は、日本の周りに連続した線を巡らすと日本を柵の中に囲い込むように見えるという心理的不利益を指摘し、英国はこの提案を落とすことに同意した。日本も、東京で英国の提案が話し合われたとき、これに反対した。
条約中に朝鮮の領土が済州島、巨文島および鬱陵島を含む旨 明細に述べることを合衆国が進んで受け入れたこともまた、英国を説得するのに役立った(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
米英両国の折衷案として、条約には済州島、巨文島、鬱陵島の三島のみがこう記載されることになりました。
「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島および鬱陵島を含む)、・・・に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」
一方、北方領土関係では北方4島について何らの記述もありませんでした。こうしたあいまいな記述では、将来領土紛争が起きかねないと憂慮した連合国のニュージーランドはこう見解を表明しました。
「日本近傍のいずれの島にも主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性にかんがみ、英国草案第1条で提案されているように日本が保持すべき領土を経緯度によって正確に画定することが望ましいと考える。
この方式を採用すれば、たとえば現在ソ連の占領下にある歯舞諸島及び色丹が日本に残ることを明確にすることができるであろう(注2)」
(つづく)
これは メッセージ 1946 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1948.html