対日講和条約草案(修正)3
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/06/01 17:23 投稿番号: [1949 / 18519]
ニュージーランドの見解は、今日の竹島=独島や北方領土問題の発生を予見したともいえる至極もっともな憂慮です。しかし、アメリカには日本の付属島嶼を明らかにできない事情がありました。それが米英両国草案の調整過程で明らかになりました。 1951年6月、米国務省注釈書はこう記しました。
「歯舞諸島および色丹については、ソ連がその島を占領していることからして、日本への返還を明確に規定しない方がより現実的であると思われる」
ここで重要な事実が明らかになりました。講和条約にハボマイ・シコタンを明記しなかったのは、現にソ連がそれらの島を連合国指令 SCAPIN 677号にもとづいて統治している実態を追認して日本領とは明示できなかったためでした。
これは当然です。ソ連の了解なしに条約参加国の仲間うちだけでソ連統治のハボマイ・シコタンを勝手に日本領として決定することは不可能です。そのため、同島の領有権をわざとあいまいにするために講和条約ではそれらの島にあえてふれなかったのでした。
したがって、条約に記載されなかった島は「サンフランシスコ平和条約上、日本が保持することが確定した」とする塚本孝氏の解釈はとうてい無理であるといえます。
こうした米英の協議をへて共同草案は改訂され、朝鮮に関しては米英案を折衷する形で条文が作成されました。最終的に朝鮮は講和条約の第2条(a)にこう記されました。
第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
結局、ここでもニュージーランドの提案は生かされないまま、講和条約でハボマイ・シコタンや竹島=独島は一言半句も記載されませんでした。竹島=独島はアメリカの草案で、ある時は朝鮮領、ある時は日本領とされましたが、最終的にはどちらも削除されました。なかでも竹島=独島を日本領とする草案が削除された背景は、ハボマイ・シコタンの場合と同じように考えることができます。
すなわちソ連のハボマイ・シコタン統治と同様、韓国の竹島=独島統治は SCAPIN 677号が起源になっています。しかも韓国はソ連同様に講和条約には参加しなかったので、日韓間の領土確定に対日講和条約は無関係だったとみるべきです。すなわち、竹島=独島やハボマイ・シコタンが講和条約により自動的に日本領になったとする解釈は不可能です。
日本政府は、「平和条約が竹島にふれていないのは、竹島が日本領でないからではない。平和条約では、日本から剥奪する領土だけを書くのが当然で、書かない限り日本に残る」と主張しました(注4)。
しかし、条約で書かなかったのは条約非調印国とのかねあいから、それらの島の帰属をわざとあいまいにしたためであり、日本政府の解釈はとうてい無理です。
ともあれ、講和条約は竹島=独島について一言もふれていない以上、そこから明確な結論を導くのは無理といえます。結局、対日講和条約はニュージーランド政府が心配した「主権紛争」を残したままのあいまい決着でした。
(つづく)
「歯舞諸島および色丹については、ソ連がその島を占領していることからして、日本への返還を明確に規定しない方がより現実的であると思われる」
ここで重要な事実が明らかになりました。講和条約にハボマイ・シコタンを明記しなかったのは、現にソ連がそれらの島を連合国指令 SCAPIN 677号にもとづいて統治している実態を追認して日本領とは明示できなかったためでした。
これは当然です。ソ連の了解なしに条約参加国の仲間うちだけでソ連統治のハボマイ・シコタンを勝手に日本領として決定することは不可能です。そのため、同島の領有権をわざとあいまいにするために講和条約ではそれらの島にあえてふれなかったのでした。
したがって、条約に記載されなかった島は「サンフランシスコ平和条約上、日本が保持することが確定した」とする塚本孝氏の解釈はとうてい無理であるといえます。
こうした米英の協議をへて共同草案は改訂され、朝鮮に関しては米英案を折衷する形で条文が作成されました。最終的に朝鮮は講和条約の第2条(a)にこう記されました。
第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
結局、ここでもニュージーランドの提案は生かされないまま、講和条約でハボマイ・シコタンや竹島=独島は一言半句も記載されませんでした。竹島=独島はアメリカの草案で、ある時は朝鮮領、ある時は日本領とされましたが、最終的にはどちらも削除されました。なかでも竹島=独島を日本領とする草案が削除された背景は、ハボマイ・シコタンの場合と同じように考えることができます。
すなわちソ連のハボマイ・シコタン統治と同様、韓国の竹島=独島統治は SCAPIN 677号が起源になっています。しかも韓国はソ連同様に講和条約には参加しなかったので、日韓間の領土確定に対日講和条約は無関係だったとみるべきです。すなわち、竹島=独島やハボマイ・シコタンが講和条約により自動的に日本領になったとする解釈は不可能です。
日本政府は、「平和条約が竹島にふれていないのは、竹島が日本領でないからではない。平和条約では、日本から剥奪する領土だけを書くのが当然で、書かない限り日本に残る」と主張しました(注4)。
しかし、条約で書かなかったのは条約非調印国とのかねあいから、それらの島の帰属をわざとあいまいにしたためであり、日本政府の解釈はとうてい無理です。
ともあれ、講和条約は竹島=独島について一言もふれていない以上、そこから明確な結論を導くのは無理といえます。結局、対日講和条約はニュージーランド政府が心配した「主権紛争」を残したままのあいまい決着でした。
(つづく)
これは メッセージ 1948 (hangetsujoh さん)への返信です.
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