竹島

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対日講和条約草案(修正)1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/06/01 17:20 投稿番号: [1946 / 18519]
   半月城です。
   やはり「石の山」にも玉はありました。私にとってコメントする価値がある書き込みがやっとあらわれました。nobuo_shoudoshimaさん、ほんの一部とはいえ、米国草案の情報の転載をありがとうございました。
   その一方ですこし気になるのですが、資料の一方的解釈でヌカ喜びするのはすこし早いのではないでしょうか。いうまでもなく、資料は総合的に分析する必要があります。それを考慮して、今回は対日講和条約成立までの過程を書きたいと思います。

   まず全体像をわかりやすくするために、文末にサンフランシスコ対日講和(平和)条約にいたる年表をかかげます(注1)。そこに見られるように、連合国はアメリカおよびイギリスがそれぞれ独自に条約の草案を作成し、両国案を統合する形で条約が作成されました。決してアメリカ一国の考えで条約が成立したわけではありません。イギリスも重要な役割をはたしました。
   イギリス草案は3度作られましたが、第1次草案は荒唐無稽な案でした。領土範囲を示す地図上で竹島=独島はいうにおよばず、済州島や鬱陵島などを日本領に含めて線引きしました。この誤りにすぐ気がついたイギリスは、さっそく第2次草案で竹島=独島などを韓国領として線引きしました。これは第3次の最終草案まで変わりませんでした。
   イギリスはどのていど竹島=独島を知っていたのかはっきりしませんが、おそらく 1946年の連合国指令 SCAPIN 677号や、翌年の連合国が合意した旧日本領土処理の合議書にしたがったものと思われます(注3)。

   他方のアメリカですが、竹島=独島についてほとんど無知だったため、竹島=独島に関する同国の草案は迷走しがちでした。当初、アメリカは竹島=独島を韓国領として第1次から第5次草案を作成しましたが、1949年、日本に説得された駐日政治顧問シーボルドの下記意見書により突然方針を変えました。

  「竹島(リアンクール岩)−−日本海中ほぼ日本と朝鮮の等距離にある、二個の無人の小島である竹島は、1905年に日本により正式に、朝鮮の抗議を受けることなく領土主張がなされ、島根県隠岐支庁の管轄下に置かれた。
   同島は、アシカの繁殖地であり、長い間 日本の漁師が一定の季節に出漁していた記録がある。西方近距離にあるダジュレ島(注、鬱陵島)とは異なり竹島には朝鮮名がなく、かつて朝鮮によつて領土主張がなされたとは思われない。同島は、占領期間中 合衆国空軍によつて射爆場として使用され、また、気象またはレーダー局用地として価値がある可能性がある(注2)」

   アメリカは、日本が竹島=独島をこっそり領土編入した事実を知らなかったのか「領土主張がなされ」などと事実とかなり異なることを記しました。また、わずかに「領土主張」まがいが島根県の地方官吏から鬱島郡守に告げられ、韓国が初めて日本の領土編入を知ったとき、韓国は外交権を失っていて抗議できる立場になかった事実も知らなかったようでした。
   さらに驚いたことに、竹島=独島には朝鮮名がなかったと記録されていますが、これでは明治政府が竹島=独島を版図外として放棄した事実をもちろん知らなかったことでしょう。
   こうした無知のせいか、アメリカは竹島=独島を日本領とする日本の主張を一方的にうのみして草案を変更したようでした。第6次草案では竹島=独島を日本領としてこう記しました。
(つづく)
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