対日講和条約草案の変遷その3
投稿者: sakurazaka3000 投稿日時: 2003/05/27 23:45 投稿番号: [1853 / 18519]
一九五〇年以降の対日平和条約草案
(国務省作成注釈書)
前章でみた一九四九年十二月二九日草案は、その後部分的な修正を加へながら一九五〇年夏まで米国
政府部内で用いられた。米国国務省においては、一九四九・十・一三草案以来、草案の解説編(注釈書)
を作成していたが、これも草案とともに随時改訂された(注釈書もまた米国政府部内の利用のためのもの
であつた)。一九五〇年七月の時点における注釈書は、一九四九・十二・二九草案の第三条(日本の保持
する領域)に関する解説の中で、竹島について次のように説明していた。
竹島(リアンクール岩)―日本海中ほぼ日本と朝鮮の等距離にある、二個の無人の孤島である竹島は
一九〇五年に日本により正式に、朝鮮の抗議を受けることなく領土主張がなされ、島根県隠岐支庁の管轄
下に置かれた。同島は、アシカの繁殖地であり、長い間日本の漁船が一定の季節に出漁していた記録が
ある。西方近距離にあるダジュレ島(注、鬱陵島)とは異なり竹島には朝鮮名がなく、かつて朝鮮に
よつて領土主張がなされたとは思はれない。同島は、占領期間中合衆国空軍によつて射爆場として使用
され、また、気象またはレーダー局用地として価値がある可能性がある。
(短い草案)
一九五〇年四月十九日ダレス(John Foster Dulles)が国務長官顧問に任命され、五月十八日以降平和
条約の策定に特別の責任を負うようになる。また、同年秋からは米国の条約案作成作業が
関係国との調整の段階に入る。ダレスが国務省の担当者と共同で作成した最初の草案は、
一九五〇年八月七日付けのものであつた。
一九五〇・八・七草案 第四章「領土」朝鮮関係条項(第四条)
「日本は、朝鮮の独立を承認し、朝鮮との関係の基礎を一九四八年十二月(ママ)に国際
連合で採択された書決議に置く」という規定になり、済州島、巨文島、鬱陵島への言及が
なくなつた。
一九五〇年九月十一日付で、八月七日草案の改訂が行はれた。朝鮮関係の第四条は、「日本国は、朝鮮の
独立を承認し、朝鮮との関係の基礎を国際連合の総会及び安全保障理事会で採択された
朝鮮に関する諸決議に置く」となつた。
この一九五〇・九・十一草案の主旨を七項目に要約した覚書が同日付けで作成された。
第三項目が「領土」となり、朝鮮については、単に「〔日本は〕朝鮮の独立を承認する」
とされた。
七項目の覚書は、一九五〇年秋以降関係各国に提示された。同年十一月二四日には国務省
から報道機関に対しても公表され、一般に対日講和七原則と称されることになつた。
(つづく)
(国務省作成注釈書)
前章でみた一九四九年十二月二九日草案は、その後部分的な修正を加へながら一九五〇年夏まで米国
政府部内で用いられた。米国国務省においては、一九四九・十・一三草案以来、草案の解説編(注釈書)
を作成していたが、これも草案とともに随時改訂された(注釈書もまた米国政府部内の利用のためのもの
であつた)。一九五〇年七月の時点における注釈書は、一九四九・十二・二九草案の第三条(日本の保持
する領域)に関する解説の中で、竹島について次のように説明していた。
竹島(リアンクール岩)―日本海中ほぼ日本と朝鮮の等距離にある、二個の無人の孤島である竹島は
一九〇五年に日本により正式に、朝鮮の抗議を受けることなく領土主張がなされ、島根県隠岐支庁の管轄
下に置かれた。同島は、アシカの繁殖地であり、長い間日本の漁船が一定の季節に出漁していた記録が
ある。西方近距離にあるダジュレ島(注、鬱陵島)とは異なり竹島には朝鮮名がなく、かつて朝鮮に
よつて領土主張がなされたとは思はれない。同島は、占領期間中合衆国空軍によつて射爆場として使用
され、また、気象またはレーダー局用地として価値がある可能性がある。
(短い草案)
一九五〇年四月十九日ダレス(John Foster Dulles)が国務長官顧問に任命され、五月十八日以降平和
条約の策定に特別の責任を負うようになる。また、同年秋からは米国の条約案作成作業が
関係国との調整の段階に入る。ダレスが国務省の担当者と共同で作成した最初の草案は、
一九五〇年八月七日付けのものであつた。
一九五〇・八・七草案 第四章「領土」朝鮮関係条項(第四条)
「日本は、朝鮮の独立を承認し、朝鮮との関係の基礎を一九四八年十二月(ママ)に国際
連合で採択された書決議に置く」という規定になり、済州島、巨文島、鬱陵島への言及が
なくなつた。
一九五〇年九月十一日付で、八月七日草案の改訂が行はれた。朝鮮関係の第四条は、「日本国は、朝鮮の
独立を承認し、朝鮮との関係の基礎を国際連合の総会及び安全保障理事会で採択された
朝鮮に関する諸決議に置く」となつた。
この一九五〇・九・十一草案の主旨を七項目に要約した覚書が同日付けで作成された。
第三項目が「領土」となり、朝鮮については、単に「〔日本は〕朝鮮の独立を承認する」
とされた。
七項目の覚書は、一九五〇年秋以降関係各国に提示された。同年十一月二四日には国務省
から報道機関に対しても公表され、一般に対日講和七原則と称されることになつた。
(つづく)
これは メッセージ 1841 (hangetsujoh さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/1853.html