対日講和条約草案2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/05/25 23:32 投稿番号: [1841 / 18519]
この第6次案で竹島=独島やハボマイ・シコタンがはっきり日本領と明記されたことは注目されます。これが次のダレス・国務省案では記述が簡略化され、朝鮮関係では竹島=独島はおろか、鬱陵島など具体的な島名の記載が一切なくなりました。
こうした簡略な記述は同盟国の不審をかいました。オーストラリア政府は「旧日本領の処分に関して一層精密な情報を求む」と要求しました。当然の疑問です。これに対し、アメリカは「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島・・・これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている・・・」と回答しました。アメリカはひきつづき竹島=独島を日本領と考えていたようでした。
具体的な島名を記述しない方式は、その次のアメリカ最終草案にも引き継がれました。こうしたあいまいな記述では、将来領土紛争が起きかねないと憂慮したニュージーランドはこう見解を表明しました。
「日本近傍のいずれの島にも主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性にかんがみ、英国草案第1条で提案されているように日本が保持すべき領土を経緯度によって正確に画定することが望ましいと考える。
この方式を採用すれば、たとえば現在ソ連の占領下にある歯舞諸島及び色丹が日本に残ることを明確にすることができるであろう(注2)」
ニュージーランドの見解は、今日の竹島=独島や北方領土問題を予見したともいえる至極もっともな憂慮です。しかし、アメリカにはそうできない事情がありました。それが米英両国草案の調整過程で明らかになりました。 1951年6月、米国務省注釈書はこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ワシントンでの(イギリスとの)話し合いにおいて合衆国は、日本の周りに連続した線を巡らすと日本を柵の中に囲い込むように見えるという心理的不利益を指摘し、英国はこの提案を落とすことに同意した。日本も、東京で英国の提案が話し合われたとき、これに反対した。
条約中に朝鮮の領土が済州島、巨文島および鬱陵島を含む旨 明細に述べることを合衆国が進んで受け入れたこともまた、英国を説得するのに役立った。
歯舞諸島および色丹については、ソ連がその島を占領していることからして、日本への返還を明確に規定しない方がより現実的であると思われる。
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ここで意外な事実が明らかになりました。講和条約にハボマイ・シコタンを明記しなかったのは、現にソ連がそれらの島を連合国指令 SCAPIN 677号にもとづいて統治している実態を追認したためでした。したがって、条約に記載されなかった島は講和条約により自動的に日本に返還されたとする日本政府の解釈は無理であることを示しています。
これは当然です。講和条約に参加しなかった国との国境を相手国の了解なしに条約参加国だけの仲間うちで勝手に決定することは不可能です。そのため、ハボマイ・シコタンの領有権をわざと保留にするために講和条約ではそれらの島にあえてふれなかったのでした。
こうした米英の協議をへて共同草案は改訂され、朝鮮に関しては米英案を折衷する形で条文が作成されました。最終的に朝鮮は講和条約の第2条(a)にこう記されました。
第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
結局、講和条約で竹島=独島は一切ふれられませんでした。同島はアメリカの草案で、ある時は朝鮮領、ある時は日本領とされましたが、最終的にはどちらも削除されました。なかでも日本領という草案が削除された背景は、ハボマイ・シコタンの場合と同じように考えることができます。
すなわちソ連のハボマイ・シコタン統治と同様、竹島=独島を韓国が SCAPIN 677号にもとづいて統治しており、しかも韓国は講和条約には参加しなかったので、日韓間の国境確定に講和条約は無関係だったとみるべきです。すなわち、竹島=独島は講和条約により自動的に日本領に戻ったとする解釈は不可能です。
さらに講和条約は竹島=独島について一言半句もふれていない以上、そこから何らかの結論を導くのは無理といえます。
(つづく)
こうした簡略な記述は同盟国の不審をかいました。オーストラリア政府は「旧日本領の処分に関して一層精密な情報を求む」と要求しました。当然の疑問です。これに対し、アメリカは「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島・・・これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている・・・」と回答しました。アメリカはひきつづき竹島=独島を日本領と考えていたようでした。
具体的な島名を記述しない方式は、その次のアメリカ最終草案にも引き継がれました。こうしたあいまいな記述では、将来領土紛争が起きかねないと憂慮したニュージーランドはこう見解を表明しました。
「日本近傍のいずれの島にも主権紛争を残さないようにすることを確保する必要性にかんがみ、英国草案第1条で提案されているように日本が保持すべき領土を経緯度によって正確に画定することが望ましいと考える。
この方式を採用すれば、たとえば現在ソ連の占領下にある歯舞諸島及び色丹が日本に残ることを明確にすることができるであろう(注2)」
ニュージーランドの見解は、今日の竹島=独島や北方領土問題を予見したともいえる至極もっともな憂慮です。しかし、アメリカにはそうできない事情がありました。それが米英両国草案の調整過程で明らかになりました。 1951年6月、米国務省注釈書はこう記しました。
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ワシントンでの(イギリスとの)話し合いにおいて合衆国は、日本の周りに連続した線を巡らすと日本を柵の中に囲い込むように見えるという心理的不利益を指摘し、英国はこの提案を落とすことに同意した。日本も、東京で英国の提案が話し合われたとき、これに反対した。
条約中に朝鮮の領土が済州島、巨文島および鬱陵島を含む旨 明細に述べることを合衆国が進んで受け入れたこともまた、英国を説得するのに役立った。
歯舞諸島および色丹については、ソ連がその島を占領していることからして、日本への返還を明確に規定しない方がより現実的であると思われる。
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ここで意外な事実が明らかになりました。講和条約にハボマイ・シコタンを明記しなかったのは、現にソ連がそれらの島を連合国指令 SCAPIN 677号にもとづいて統治している実態を追認したためでした。したがって、条約に記載されなかった島は講和条約により自動的に日本に返還されたとする日本政府の解釈は無理であることを示しています。
これは当然です。講和条約に参加しなかった国との国境を相手国の了解なしに条約参加国だけの仲間うちで勝手に決定することは不可能です。そのため、ハボマイ・シコタンの領有権をわざと保留にするために講和条約ではそれらの島にあえてふれなかったのでした。
こうした米英の協議をへて共同草案は改訂され、朝鮮に関しては米英案を折衷する形で条文が作成されました。最終的に朝鮮は講和条約の第2条(a)にこう記されました。
第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
結局、講和条約で竹島=独島は一切ふれられませんでした。同島はアメリカの草案で、ある時は朝鮮領、ある時は日本領とされましたが、最終的にはどちらも削除されました。なかでも日本領という草案が削除された背景は、ハボマイ・シコタンの場合と同じように考えることができます。
すなわちソ連のハボマイ・シコタン統治と同様、竹島=独島を韓国が SCAPIN 677号にもとづいて統治しており、しかも韓国は講和条約には参加しなかったので、日韓間の国境確定に講和条約は無関係だったとみるべきです。すなわち、竹島=独島は講和条約により自動的に日本領に戻ったとする解釈は不可能です。
さらに講和条約は竹島=独島について一言半句もふれていない以上、そこから何らかの結論を導くのは無理といえます。
(つづく)
これは メッセージ 1840 (hangetsujoh さん)への返信です.
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