伝統的松島はダジュレー=鬱陵島ではない
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/11/09 22:53 投稿番号: [18502 / 18519]
ahirutousagi2様、大変厳しいご意見を有難うございます。ただ相変わらず、具体例を示して頂けなかったことが残念です。
ahirutousagi2様は、No.18489 で、“貴殿が「資料」と書いていたことははじめから分かっていましたよ。その上で貴殿の書き方が「ごまかし」であり、文章で人を惑わしていると書いているのです。”と述べられましたが、私の書き方のどこが「ごまかし」で人を惑わす文章なのでしょうか?
私は、No.18464で、“川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。”と書き、No.18474では、“川上氏はまた、鬱陵島を松島とした19の資料中11は、リアンク−ル岩を今日の竹島に該当する島と見ている事を示しました。一方、アルゴノート島に該当する島として竹島を表しているのは、点線で描いた3つを含めても、6つしかありません。”と書きましたが、何が「ごまかし」でしょうか?
ahirutousagi2様はまた、私が主張したこともない「ダジュレー=竹島=鬱陵島」「松島=リアンクール岩」と主張したと、繰返し何度も主張されました。私は確かに「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」とは主張しました。そこで、もう少し詳しくそのことについて説明します。
私は、「伝統的竹島・松島」を、川上(1966)と同様に、欧米製の間違った地図にあるアルゴノート=竹島・ダジュレー=松島=鬱陵島と、『隠州視聴合紀』や長久保赤水系の地図に記された竹島・松島とを、区別するために使いました。それは、No.18474で書いたように、単なる「松島」と「伝統的松島」は全く違うからです。シーボルトの間違いによって、欧米製地図の多くは鬱陵島をダジュレー=松島としました。しかし、「伝統的松島」は、『隠州視聴合紀』の記事、及び長久保赤水の地図に描かれた様に、隠岐から鬱陵島への航路の途中にある島です。従って、「伝統的竹島・松島」の地理認識では、伝統的竹島=鬱陵島の朝鮮寄りに島は無く、アルゴノート=竹島は全くの想定外であることを意味します。
一方、ahirutousagi2様は、1877年3月の太政官指令「竹島外一島本邦関係無之」に関して、「太政官が版図外としたのは、鬱陵島=ダジュレーまでであったということのみ」と複数回書いておられます。しかし私は、太政官が鬱陵島をダジュレーと判断したことが、どうもよく理解できません。何度も書きましたが、太政官と内務省が、判断の主要な根拠にした、島根県提出資料の一つ『原由之大畧』には、「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ川三條アリ又瀑布アリ然レトモ深谷幽邃樹竹稠密其源ヲ知ル能ハス・・」及び「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚(鳥)獸ヲ産ス」と記されています。この記述から、竹島が鬱陵島であることは明らかです。従って、島根県当局・内務省・太政官に鬱陵島=ダジュレーとの認識は全くなかったと思います。そして、伝統的竹島=鬱陵島の隠岐寄りに在る島は、松島と呼ばれていることも分かります(No.18332)。
島根県提出資料にはまた、『磯竹島略圖』という地図が添えられました。それには、磯竹島と隠岐の間に、松島として、現竹島の最大の特徴である隣接する2つの小島が描かれています(Nos.18184, 18333)。これらの島根県提出資料から、太政官と内務省は、欧米製地図にある、リアンク−ル岩、Hornet Rocks或いはヲリウツ・メ子ライ礁等と記されている小島群を、「伝統的松島」であると容易に理解したでしょう。
ただし、アルゴノート=竹島とする地図も2割以下の少数ながら存在します。そこで、“私は、太政官も多数派に従い「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」と判断した、可能性の方が高いと考えております。”と結論しました。これは「意図的に人を惑わす書き方」(No.18489)になったかもしれません。もしそうならばお許し下さい。
ahirutousagi2様は、No.18489 で、“貴殿が「資料」と書いていたことははじめから分かっていましたよ。その上で貴殿の書き方が「ごまかし」であり、文章で人を惑わしていると書いているのです。”と述べられましたが、私の書き方のどこが「ごまかし」で人を惑わす文章なのでしょうか?
私は、No.18464で、“川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(1966)は、松島・竹島の地理的知識の変遷を表示し、日本人作製の32の資料を挙げました。そして、その中の12を伝統的松島(今日の竹島)竹島(鬱陵島)の系統に分類しました。20の欧米製地図系統の中、14は鬱陵島をダジュレー=松島としていますが(1つは鬱陵島を竹島)、アルゴノート=竹島は描いていません。残り6つの内で竹島を点線で描いているのが3つ、沖冠嶺「大日本及支那朝鮮図」(1874)(前述の1-10)も含めて、竹島=アルゴノートの現存を示唆するのは3つです。また、鬱陵島を松島とした資料の中で、11は伝統的松島の位置でリアンクール岩を記しています。”と書き、No.18474では、“川上氏はまた、鬱陵島を松島とした19の資料中11は、リアンク−ル岩を今日の竹島に該当する島と見ている事を示しました。一方、アルゴノート島に該当する島として竹島を表しているのは、点線で描いた3つを含めても、6つしかありません。”と書きましたが、何が「ごまかし」でしょうか?
ahirutousagi2様はまた、私が主張したこともない「ダジュレー=竹島=鬱陵島」「松島=リアンクール岩」と主張したと、繰返し何度も主張されました。私は確かに「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」とは主張しました。そこで、もう少し詳しくそのことについて説明します。
私は、「伝統的竹島・松島」を、川上(1966)と同様に、欧米製の間違った地図にあるアルゴノート=竹島・ダジュレー=松島=鬱陵島と、『隠州視聴合紀』や長久保赤水系の地図に記された竹島・松島とを、区別するために使いました。それは、No.18474で書いたように、単なる「松島」と「伝統的松島」は全く違うからです。シーボルトの間違いによって、欧米製地図の多くは鬱陵島をダジュレー=松島としました。しかし、「伝統的松島」は、『隠州視聴合紀』の記事、及び長久保赤水の地図に描かれた様に、隠岐から鬱陵島への航路の途中にある島です。従って、「伝統的竹島・松島」の地理認識では、伝統的竹島=鬱陵島の朝鮮寄りに島は無く、アルゴノート=竹島は全くの想定外であることを意味します。
一方、ahirutousagi2様は、1877年3月の太政官指令「竹島外一島本邦関係無之」に関して、「太政官が版図外としたのは、鬱陵島=ダジュレーまでであったということのみ」と複数回書いておられます。しかし私は、太政官が鬱陵島をダジュレーと判断したことが、どうもよく理解できません。何度も書きましたが、太政官と内務省が、判断の主要な根拠にした、島根県提出資料の一つ『原由之大畧』には、「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ川三條アリ又瀑布アリ然レトモ深谷幽邃樹竹稠密其源ヲ知ル能ハス・・」及び「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚(鳥)獸ヲ産ス」と記されています。この記述から、竹島が鬱陵島であることは明らかです。従って、島根県当局・内務省・太政官に鬱陵島=ダジュレーとの認識は全くなかったと思います。そして、伝統的竹島=鬱陵島の隠岐寄りに在る島は、松島と呼ばれていることも分かります(No.18332)。
島根県提出資料にはまた、『磯竹島略圖』という地図が添えられました。それには、磯竹島と隠岐の間に、松島として、現竹島の最大の特徴である隣接する2つの小島が描かれています(Nos.18184, 18333)。これらの島根県提出資料から、太政官と内務省は、欧米製地図にある、リアンク−ル岩、Hornet Rocks或いはヲリウツ・メ子ライ礁等と記されている小島群を、「伝統的松島」であると容易に理解したでしょう。
ただし、アルゴノート=竹島とする地図も2割以下の少数ながら存在します。そこで、“私は、太政官も多数派に従い「伝統的竹島=鬱陵島」「伝統的松島=リアンクール岩」と判断した、可能性の方が高いと考えております。”と結論しました。これは「意図的に人を惑わす書き方」(No.18489)になったかもしれません。もしそうならばお許し下さい。
これは メッセージ 18489 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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