三陟都護府蔚珍縣に属するか于山島
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/30 03:28 投稿番号: [18412 / 18519]
シンヨンハ氏は、「韓国は、高麗時代は勿論、朝鮮王である世宗が独島を江原道蔚珍県に属した朝鮮領土として統治したことを記録しています。」と主張されますが、何に依拠した主張なのか判りません。
1417年2月8日・1436年6月19日・1437年2月8日と3回に渡って、鬱陵島の籍を江原道に入れる建白が為されるが、何れも却下されています。又、于山茂陵等處按撫使の金麟雨・茂陵島巡審敬差官の南薈はソウルから命令されているのです。按撫使派遣が江原道の裁量に任されていなかった事が解ります。この様に、「世宗が独島を江原道蔚珍県に属した朝鮮領土として統治」していなかった記録のみが残っているのです。
1425年10月20日の王発言は「捕還した逃民は、潛從他國ではない。」です。これを「他国から潜む」とは解せませんから、「他国に従いて潜む」と解します。1438年7月15日の兵曹発言は「茂陵島が本國之地に係ると雖も、海中絶域なので、國家は縣邑を置いていない。」です。この「係る」の解釈は微妙ですが、本国の地とは別に茂陵島があると解されます。この様に、朝鮮領土で無かったことも明白です。
尚、金麟雨と南薈を于山島に派遣した目的は、職場放棄した逃隱者を連れ戻し、税金を納めさせることですから、于山島が独島でないことも明らかです。
これは メッセージ 18404 (take_8591 さん)への返信です.
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